鳥居のジュネーヴ便り 〜秋冬編〜

執筆 2002.12.22

 ヨーロッパにしては穏やかな気候の当地ですが、最近は寒さが身にしみてしばれる日が続いています。今月中旬には今年400周年を祝うエスカラードの祭(サヴォア公国の夜襲を防いで都市国家ジュネーヴを守り抜いた記念日)があり、名物のチョコレート製マルミット(鉄鍋)がショコラテリにならび、また通りはドイツ語圏に比べて控えめながらクリスマスの飾り付けが輝いていますが、この季節欧州一帯は日が短いどころか毎日どんよりとした雲に覆われ、さらにレマン湖から立ちこめる霧靄にあたりは霞み、ジュネーヴではかれこれひと月ちかく陽の光を見たことがありませんでした。かつて私の先輩だったドイツ人が東京の冬の青空を羨んでいたことを思い出します。

 さて、私の実験も一段落し、一週間毎に就労時間が8時間ずつずれていく生活だったビームタイムから解放されて暫しほっとしています。我々の実験成果にはなかなか課題も多く苦労しているところですが、今年は9月に我々の隣仲間のグループ(私の大学院時代の指導教官も絡んでいる)が反水素原子の大量生成に成功し、新聞にも載ったのでCERN(セルン)研究所の文字をご覧になった方もいることでしょう。また、田中さん人気に影が薄い感はありますが、小柴先生のノーベル賞受賞で素粒子物理学分野にも脚光が当たったのは、金食い虫の批判の多い加速器物理の業界にとって歓迎された明るい話題でした。

(これら物理関係のリンク先はこちら

 妻は声楽のいい先生を見つけ、みっちりしごかれつつもご機嫌に歌っています。フランス語も毎日のテレビ三昧(こちらに来てまでテレビっ子になるとは予想していなかった)のおかげか少し上達してきている様子。

 前回に引き続き、以下にテーマ別にこちらの様子をお伝えしましょう。いつもの如く長文ですのでお時間のあるときにでもお読みください。

目次

漢字ブーム
携帯電話事情
携帯荷物事情
フランスパン
食事
気候(秋冬編)
エスカラード
クリスマス

漢字ブーム

 日本ではあまり知られていないでしょうが、欧州ではここ最近、一大漢字ブームが沸き起こっています。2,3年ほど前から巷で、丁度似顔絵描きのように色紙に毛筆で漢字を書いて売る中国人の姿を見かけていたのですが、今年は大ブレーク。スーパーでは子供のパジャマに「賀正・合格」と書いたデザインのが売られているし、街を歩けば胸のところに大きく「愛」と書いたTシャツ姿の人や「犬」と書かれた帽子を被ったお父さんなどが通り過ぎていきます。中国の簡体字でなにやら書いてある場合もあれば、般若心経のような不思議な数文字に出くわすことも。ひらがなやカタカナ(らしきもの)の文字もありついこないだは青年のジャケットの後ろに丸文字っぽい字で「ワEワヨ」とあった。

 彼らはおよそ意味を知らずに着ているようなので往々にしてこちらが吹き出しそうになってしまう場面もありました。Tシャツのど真ん中にカタカナで一文字、「ボ」とあり、両袖のところに「アタック」「アタック」。ほかにも「責」(うわあ、重そう)という一文字や、「天地無用」と縦書きされたTシャツに出会ったという話も。なかでも傑作は食堂で誰かが着ていたTシャツで、胸のところに「紀文のちくわ」、背中に縦書きで品名、原材料、賞味期間などが事細かに説明書きされていたもの。友達と二人で笑いをこらえるのに苦労しましたが、そばにいたスウェーデンと日本人とのハーフの友人に言わせれば、東京にだってひどい英語の書かれたTシャツを着ている人はたくさんいるのだからといってたしなめられました。でもこれって、絶対どこかに確信犯の日本人仕掛け屋がいるような気がする。それとも西洋人が意味も分からないまま「ちくわ」の包装紙をコピーしてTシャツにしてしまったのだろうか。

 着る物に限らず、ベッドカバーやインテリア製品にも漢字は進出しています。とある人のホームページ (http://www.laila.ch/bravo/contents/16up/text02.html) によると、黒字に大きく朱書きされた「福井貞子」の布団があったとか。ちなみにホームページで検索してみると、幽霊などではなく、服飾関係でそういう名前の人がでてくるので、ひょっとすると自らの名前をデザインしたブランド品なのでしょうか。

携帯電話事情

 日本に2年ほど遅れている感のある欧州の携帯電話ですが、最近はこちらでもあちこちで携帯を使っている人を見るようになってきました。以前おしゃべり好きのイタリア以外ではそんなに普及していなかったようですが、最近はジュネーヴでも電話している人をよく見かけます。とは言え、満員電車やバスでうるさくてしょうがないというほどではない(そもそも長距離通勤や満員電車というもの自体が存在しないが)。旅行や出張に使われる長距離電車では禁煙喫煙の別と同様、携帯の使用も席によってきちんと分かれているようです。電話嫌いの私には嬉しい限り。

 昔は大きくてださい機種ばかり、値段もウン万円相当していたのが、最近は小さいものが安く、あるいは1年分の契約をするとただ、とかいうことにもなっているようですが、画面はドットが見えるくらい解像度は荒く(複雑な漢字と違ってアルファベットの表示にはそもそも高解像度は必要ないが)、カラー液晶なんて韓国製やソニー=エリクソンなどごくわずか。メロディーもようやく何種類か選べる程度で、和音なんて聞いたことがない。また、小さくても重いのは、日本と違って人口が密集していないヨーロッパでは基地局やアンテナの数が断然少ないので、その分電波の受信感度を上げなくてはならないからのようです。

 ようやくNTTドコモの技術提携によるiモードもドイツなどで始まったそうですが、普及はまだまだ。そもそもヨーロッパの人があんな小さな機械を見つめて黙々と文字を打っている姿など想像するだにできない。高々10個程度の文字盤を使って漢字変換の必要な文章を操る芸当は、手先が器用な以外に、都会の人の洪水にもまれながらの長時間の移動時間や、面と向かってのつきあいが下手な昨今の日本人気質に負うところ大なのでしょう。

 第三世代携帯電話にしても、権利料だけが高騰して欧州の電話会社が負担に あえいでいる現状ではなかなか導入の目処は立たないようです。

携帯荷物事情

 日本ではモバイルネットワーキングがはやり、ひたすら軽いパソコンへの需要が高いのですが、欧米ではあまりそうではありません。特にアメリカ人は重厚長大を好む傾向が強く、パソコンも大きくないと売れない様子。自家用車で通勤し、また普段の荷物も、何キロもあるリュックを平気で持ち歩いている米国人ですから、パソコンを持ち歩く人でもその重さなど気にならないようで。CERN研究所で私の隣の実験グループのボスであるアメリカの先生など、本人自体も相当の重量がある体型なのですが、背中にいつも米俵を背負っているのではないかと思われるほどの大きな荷物を担いで、プレハブ式実験室脇の廊下を通るときなどはズシンドシンと揺れるは揺れる。

 欧州には夏の観光シーズンに(日本人の大群のほかに)多くのアメリカ人バックパッカーが訪れるのですが、彼らは寝袋も含めて50キロくらいありそうなどでかい荷物を平気でしょって歩いているのです。さすが彼らは体力が違う。

フランスパン

 フランスのパン(バゲット)はとてもおいしい。外側はかりっと香ばしく焼け、内側はしっとりとしたもちもち感がいい。日本人の米(ご飯)と同じく主食なだけに、焼きたてのパンをいつでも食べられるように、町のパン屋さんだけは日曜日も交代で営業し、毎日どこかの店が開いている。他の店が日曜には完全に閉まってしまうのとは対照的だ。

 たしかにパンはおいしいが、ひとつ問題がある。すぐに固くなってしまうのだ。もちろん日本のベーカリーで売られているフランスパンも何日かすると固くなるが、本場のパンはそんななまやさしいものではない。おいしいパンは当日のうちに食べてしまうのがよく、次の日にはもうパサパサになり始め、3日目には固くてがりがりとする感じ。スープにでも沈めて食べない限り、とてもうまいとは言えない代物である。フランス人にパンの保存方法について尋ねてみたが、答えは「無理。買ったらすぐ食べること」だった。唯一、冷凍保存して解凍する方法はあるが、風味は落ちる。で、4日を過ぎるとかちかちになる。本当に信じられないくらい固くなるのである。中のもちもちしていたはずの白い部分でさえ、げんこつでも壊れない、いや、手のほうが怪我してしまうかもしれない。外の焼けた部分はなおさらで、殴打すれば殺人の凶器に使えそうなくらい頑丈になっている。角の部分なら、平頭の釘くらいは打ててしまうに違いない。「ああ無情」Les Mise'rables の主人公ジャンバルジャンが寒い冬に住む家もなく道端で固いパンを食べるシーンがあるが、その切なさは実際に本当に固いパンを知って初めて分かるものかもしれない。

食事

 外食は高い。2時間あるランチタイムにはサラリーマンも小学生も一旦帰宅して家族と共に食事するわけなので、安い外食産業が発達するわけがありません。そもそも、そばに嘔吐用の壺を置いてまで食事をしたローマ人の末裔、日本のそば屋のように軽い食事なんて概念がないのかもしれない。しかして、一番安い外食がトルコ料理のケバブ(あぶった羊肉を削いで野菜と一緒に丸いパンに挟む、美味。)で9スイスフラン(約800円)、マクドナルドのビックマックセットなど9.9フラン(約850円)もし、駅の売店でサンドイッチを買っても(日本のコンビニで買うのより量が多いとはいえ)5フラン(420円)、缶ジュースが2.5フラン(200円)、あるいはカフェでたいしてうまくもないスパゲティーを頼むと単品で18フラン(約1500円)もするということになってしまう。

 もう少しお金を出せは本場イタリア人がやっていてうまいピザ屋などにも入れますが、もっとまともな食事をしようとレストランに入ると、昼食なら2時間、夕食なら3時間で終わってでてくることはまあ無理で、ワインなど頼むとジュネーヴでは一人 4000円は最低でもかかってしまいます。もちろん、東京でフランス料理を食べるよりはずっと安いのですが、ではといってジュネーヴに何件かある日本料理屋は驚くほど高く、冷や奴が13フラン(1100円)!もします。(ちなみに、こちらには日本料理屋が多く(私は一度も入ったことがないが)定番は寿司、鉄板焼き、天ぷら。フランスには「寿司焼き」という名の店も発見しました。)

 ともかく、問題は安く食べられる店がないこと。これは外食というのが普段は誰も行かず、特別な、ハレの日にしか利用しないものだからです。そもそも、フランス料理は確かにおいしいのですが、なにせ分量が多く、ソースもこってりとしているので、少なくとも日本人にはとても連日食べられるようなものではありません。レストランに行った次の日から暫くはあっさりとお茶漬けでも食べていたい気分になるのは、肉食に慣れていない(欧米では消費される肉の分量が日本とは断然違うし、種類にしても牛、仔牛、羊、豚、鹿、鶏、鴨、七面鳥、兎...と豊富)せいもあるのでしょうが。

 では普段のスイス人、フランス人はどうしているかというと、家での食事は至って質素。特にスイスではパンにチーズ、ジャガイモだけというのが一般的な食事だそうです。スーパー(ハイパー)マーケットでの買い物はジュネーヴでは東京と同等か少し安い程度(乳製品はずっと安い)ですが、農業国フランスでは遙かに安く、ジュネーヴから越境して買いに来ている人も多いのです(ただしスイスの税関では一日の輸入制限があり、それ以上は課税される)。

気候(秋冬編)

 ジュネーヴの秋は早く訪れます。8月もお盆を過ぎる頃になると夏の終わりを感じ、9月に入った途端に天候も崩れて雨がちになり、特に朝晩は冷え込むようになります。東京ではまだ残暑の続いている折りですが、こちらの9月は東京の11月に相当すると思われるほど。長月も半ばを過ぎるといよいよ秋らしくなり、下旬には木々の葉が色づき始めました。月末には寒さが最低2度、最高でも8度といった世界になり、街ではオーバーコートを着ている人もいましたが、10月に入り暫し穏やかな久々の秋晴れに恵まれ、周辺の葡萄畑も収穫が始まりました。すでにアパートの循環湯による全館暖房もONになっています。10月も中頃には木々の紅葉黄葉橙葉が本格的な見頃を迎え、朝晩の白い吐息にも晩秋そして冬の気配を感じるころ。収穫を終えた葡萄畑も一面の黄金色となり、うちの「裏山」のジュラ山脈(恐竜の化石発見によりジュラ紀の命名につながった山脈で、ジュラシックパークのジュラです)にも初冠雪。夏の間高原に登っていた放牧の牛や羊もいつしか麓に降りて来ていました。街なかの屋台で買った焼き栗を頬張りつつ、道辺に無数に落ちているマロニエの実を拾い(こちらは食べられません)茶色や深紅の落葉をかさこそと踏み分けるにつけ、あるいは雷鳴まじりに時折強く降りつける山麓の驟雨に濡れながら、晩秋の薫りの中にも近付く冬の足音を感じる頃です。

 この月の最終日曜日には夏時間が終わり、時計の針を1時間戻すと、夕方の日の入りが急に早くなり、ただでさえ日の短い欧州で夜がぐっと長くなる。11月に入るともはや紅葉も散り、裸になった木の枝も、中腹まで真っ白に雪化粧したジュラ山脈も冬支度。中旬を過ぎると天気はいよいよ悪く、すっかり寒い日々。これ以来まる一ヶ月、ジュネーヴでは毎日どんよりとした灰色の雲が低く天を覆い、またレマン湖から立ちこめる霧靄が視界を阻み、ついぞ一度も陽の光を仰ぎ見ることのない雨天曇天霧靄の日々。遠くモンブランはおろか近くのサレーヴ山や、裏山ジュラすらほとんど見える日はありません。ひどい日は霧で視界が 200メートルしかないまま朝から晩まで終わってしまったこともあります。12月15日のエスカラードの祭の日になって、ひと月ぶりに雲の切れ間に青空が覗き、わずかに5分だけ薄日が差したのですが、その後は冷たい雨が降って来てしまいました。そして今日もまた天一面灰色の空...。

エスカラード

 時は1602年12月11日深夜、寝静まったジュネーヴの城壁に梯子をかけて登り来る闇夜の影。スイス、フランス、サヴォアの領地の狭間にあって独立を保っていたカルヴァン派新教の聖地、都市国家ジュネーヴを虎視眈々と狙う旧教サヴォア公国のシャルル・エマニュエル1世の軍勢による奇襲攻撃は、ジュネーヴの勇敢な兵士や住民達の機転により阻止され、ジュネーヴは独立共和国の地位を守り抜いたのでした。中でも建物の窓からスープの大鉄鍋をひっくり返してサヴォア兵を撃退したロワヨームおばさんの逸話は有名で、毎年エスカラード(梯子を登る、の意)の祭が近づくころには名物のチョコレート製マルミット(鉄鍋)がショコラテリに並びます。中にはお菓子でできたにんじん、ジャガイモ、トマトなどの野菜が入っていてかわいらしい。

 今年は400周年にあたる記念の年で祭は盛大を極め、大勢の見物客の中(この街にこんなに人がいたのか、と思うくらいの混雑ぶり)当時の甲冑や市民の衣装を身にまとった人々、馬に乗った騎士達、鼓笛隊が日の暮れた夕方の旧市街を練り歩き、中世絵巻のなか燃える松明の炎が心を暖かくしてくれました。

クリスマス

 欧州ではクリスマスはみな実家に帰省して家族で静かに過ごす時季、ちょうど日本の正月に相当するそうで、人口の大半が(国際機関で働くエリートなど)外国人で占められるジュネーヴの街は人影も少なくなってきました。我々が実験しているCERN研究所もクリスマスから年末年始にかけての休みに入り、この間施設閉鎖。フランス側のスーパー(ハイパー)マーケットで買い物する人々の様子も、クリスマス商戦真っ盛りというにはほど遠く、むしろ年末の年越し準備といった雰囲気。25日の生誕節にはヨーロッパ中の店が閉まってしまって本当にひっそりとするそうです。日本人の知り合いも独身者は既に逃げ出して帰国しましたが、前のクリスマスに一人でいた人の話だと、食事をするにもバスに乗って中心街に行き、3日連続でマクドナルドを食べる羽目に遭ったとか。暗い灰色の雲の下、自殺者が急増するのも悲しいかなこの時季なんだそうです。一人でなくてよかった....。

 さて、日本でもクリスマスムード一杯、街には人があふれていることと思います。

みなさん、どうぞよい年の瀬と新年をお迎えください。2002.12.22

Meilleurs Voeux et Bonne Anne'e !


関連文書鳥居のジュネーヴ便り 〜春夏編〜ジュネーヴ便り 〜初春編〜スイス紀行ジュネーヴジュネーヴ・ジュラめぐりCERN研究所の案内CERN 周辺と名所めぐりCERNでの実験と生活の様子ヨーロッパの気候

リンク先:エスカラード祭り(フランス語【フォントに注意】、2002年12月の記念写真は Comme'moration 2002 をクリックして出てくるページの下の方にあります)

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