鳥居のジュネーヴ便り 〜初春編〜

執筆 2003.5.6

 全く時の経つのは早いもので、私どもも1年のジュネーヴ滞在を終えて帰国することになりました、というメイルを書こう書こうと思いつつ、引っ越しの慌ただしさの中、もう帰ってきてしまいました。
 帰還して既に3週間ほど経ち、やっと東京の生活のペースにも勘を取り戻してきたのですが、成田空港から家路までには様々な再発見の驚きとある種の居心地の悪さを感じたものです。1年のゆったりとした田舎暮らしの後に見た東京はとてもアジアチックで、せわしない雑踏や人込みに戸惑い、けたたましい車内アナウンスに閉口し、狭いのは覚悟の上でしたがアパートの天井や鴨居の低さに圧迫感を覚え、店の陳列棚の低さや道行く人の姿勢の悪さが気になりました。
 その一方で、土曜の夜に成田から送った荷物が翌朝には配達されたり、スーパーが日曜日の夜でも開いているとか、夜中でも食べるものが手に入るコンビニとか、こちらから特段に頼んだわけでもないのに相手の利便を考えてくれる平身低頭の信じられないくらいのサービスには脱帽しました。このサービスに慣れると、また向こうに赴いた時には不便や不満を感じるんだろうなあ。

 何度か綴ってきたジュネーヴ生活の紹介(参照:春夏編秋冬編)も、今回でひとまず最後です。いつもにましての長文ですのでお時間のあるときにでもお読みください。

目次

フランスの銀行事情
スイスの銀行事情
車事情
交通事情
住宅事情
信頼について
サービスについて
スイスの多言語事情
気候(初春編)

フランスの銀行事情

 毎日パスポートを携帯して越境通勤する生活の中で、ユーロ建てのフランスの銀行と、スイスフラン建てのスイスの銀行の両方にお世話になりました。ご存知でしょうが、ヨーロッパはキャッシュレス社会です。スーパーでの買物やレストランの勘定は言うに及ばず、駅の切符やちょっとした支払いでもカードが使えます。特にフランスではカルトブルー (Carte Bleue = CB) というシステムが普及していて、これはセンターとの交信確認が必要なく、携帯可能な機械に差し込んで暗証番号を入力するだけで決済が済んでしまう優れものなので大変便利でした。東京などでも普及しつつあるデビットカードシステムと同等で、使った分が銀行口座から自動的に引き落とされるようになっています。暗証番号は銀行から与えられるもので変更不可なのですが、セキュリティー上も特に問題はないようです。それにしてもすごいのは、このシステム、おそらく10年以上前に、当時の大学生によって開発されたのだとか。フランスではパソコンの普及以前からミニテルといって、電話回線を利用した端末から情報の引き出しや各種予約などができるシステムが構築されていて、結構こうしたシステム基盤の整備では時代の先端を行っていたんですね。ミニテルで用が済んでいたためにインターネットの普及が遅れたという話もあるくらいです。

 で、カルトブルーは銀行のキャッシュカードとして、全国至る所にある現金引出機で引き出しが可能。ただし預け入れや残高照会などは銀行の窓口でないとできません。またフランス国外ではクレジットカードとして使えるので便利です。ユーロ圏内ならキャッシングもどうやら手数料なし。

 しかしながら、フランス人が現金を本当に持ち歩かないことの裏返しとして、多額の現金を引き出すには苦労するのです。機械では1日(次の営業日まで)の引き出し限度額が約200〜300ユーロですから、2、3万円相当しか下ろせないことになり、急に現金が必要になってそれがしかも週末だったりするとえらいことになります。うちの近所の支店は土曜午前に営業する代わりに月曜全休だったのでなおさら。私は大家さんが同じ研究所勤務だったこともあり、近況報告がてら毎月所内のカフェテリアで会って家賃を直接現金で払っていたのですが、では千何百ユーロもの家賃をどうやって引き出していたかというと、銀行の窓口に行って、なんと自分自身に対して小切手(チェック)を切るのです。通帳も存在しないし、カードと暗証番号だけでは本人確認にならないということで小切手の保持とそこに書くサインが身分証明なわけです。小切手もカードと同じくフランスでは普及していて、スーパーの買物でも使っている人を見かけるし、電気代などの支払いに小切手を送付する人もあります。(私は公共料金の支払いにはTIPといって請求確認付き口座引き落し制度を利用していました。) おもしろかったのはレンタルスキーの保証金のかわりに小切手を預けたこと。これなら持ち逃げされたときには先方は銀行に行って小切手を現金化すればいいし、期限内にちゃんと返却したときには預かった小切手を返すかその場で破り捨てればすむので本物のお金を扱わずにすむわけです。なるほど。

 このように、フランスでは高額の現金は殆ど使わないし、使えません。ユーロ導入以前から最高額面の500フランスフラン札(キュリー夫妻と放射線の図が書かれたもので、科学者としては嬉しいお札だった)は9千円くらいの価値のものだったのですが、「高額すぎて」市中ではほとんど使われていなかったのに、ユーロは100ユーロ札でさえ1万3千円相当なのでスーパーなどの買い物でも釣り銭を出せないと言って受け取りを拒否されることも多いのです。まして200,500ユーロ札は言うに及ばず。
 でもこんなに極端なのはフランスだけのようです。ドイツやオーストリア、イタリアなどでは現金引出機で数万円でも問題なく下ろせるし、ある程度まとまった額の買い物なら200ユーロ札を出しても大丈夫らしい。

スイスの銀行事情

 これに対してスイスでは現金を使う機会も多く、さすが金持ちの国だけあって、よく使われる100スイスフラン札、たまに見かける200スイスフラン札の上に1000スイスフラン札(約9万円)というのが用意されています。私などは一度も手にしたことがありませんが、大金持ちなどは重宝するのでしょうか。また、機械でも数十万円相当までは一度に下ろせるようです。最近導入された新型の機械では振込依頼や残高照会、口座の取引記録の印字などができ便利になりました。

 ヨーロッパの通貨は日本の微々たる利子率に比べれば羨ましい限りでいまでも1〜2%ほど付きますが、銀行のサービスは決して無料ではありません。まずキャッシュカード利用手数料を兼ねた口座保持手数料が月に五百〜千円ほどかかり、さらには小切手使用料、インターネットバンキングを利用するなら毎月の手数料、締めて月に2千円ほど掛かるので、多額の預金がない限り実質利子率はマイナスです。日本だと安全がただなので、銀行が口座手数料を取り出したらみんな箪笥預金に流れてしまいそうですね。欧米では資産を家に置いておくなんてとても物騒でできたものではありません。

 帰国前にフランスの銀行を解約したのですが、これがなんと解約手数料と称して25ユーロ(3200円)も取られました。でもスイスの銀行はもっとしたたかで、うっかり住所変更届けを忘れて毎月の明細書が届かなくなったりすると、「宛先不明で戻ってきた郵便物はこちらでお預かりしておきますが、1通あたり保管手数料として200フラン(なんと2万円ちかく)申し受けます」だそうで、このテで庶民の休眠口座などさっさと残高がゼロになって口座召し上げになってしまう恐ろしい制度なのです。

 ところで、スイスの銀行業は世界に知れたところです。莫大な貯蓄資金もさることながら、闇の資金が眠る、などと言われていますが、これはどの銀行でも個人情報の守秘義務が厳しく法律で課せられており、銀行側はたとえ相手が国家当局であっても口座に関する情報は一切明かさない決まりになっているからです。最近は重大な国際犯罪に関わるものに関しては開示するようになってきているそうですが、原則としてはどんな黒幕のありそうな金でも受け入れてしまう制度が国際的な批判を受けてきたところです。私の同僚のイギリス人が揶揄して曰く、誰かが窓口に1億円持って現れたとしても、銀行員は相手がどこの誰で、どこでどうやって手に入れた金なのかなどは一切聞かず、本人が望めば匿名のまま口座を開設できるのだとか。こうした秘匿性はしかし、第二次大戦中にナチス政府からの圧力でスイスの銀行がユダヤ人口座の情報を提供してしまい、結果的に彼等を追い詰める手助けをしてしまったという暗い過去の反省から生まれたものなのだそうです。それはともかく、スイスに数々あるプライベートバンクには世界中の資産家の貯蓄が預けられています。尤も、余剰資産が最低でも10億円程度ないと顧客になれないそうですから、私など全く知る由もない世界ですけど。

車事情

 私が1年間ジュネーヴ近郊でお世話になった車はプジョー205の赤くてかわいい3ドア(トランクのドアも数える)で、欧州では当然ながら左ハンドルのマニュアル車です。オートマはほとんど普及していないし、エアコンはあまり必要ないので高級車にしか付いていません。あまり大きくないのですが小回りも利き、2人で乗るには十分素敵な愛車でした。(アメリカなどと違って、ヨーロッパでは日本に似て小型車が好まれます。)
 さて、その車は 1995年製の中古車で購入時すでに8万4千キロ走っていたのですが、さていくらしたでしょう? おそらく日本ならそんな車は二束三文かさもなければ廃車でしょうか。でもね、我々が個人売買で前の所有者に払った金額はなんと3千ユーロ、約40万円です。中古車販売店を通すとその倍くらいしてしまいます。
 なぜ中古車が高いのか、それにはいくつか理由があります。まず、日本のように車の傷やへこみや古さはさほど気にせず、あくまで移動の道具という位置づけなのでちゃんと動きさえすればそれでいいという考え方。いつもぴかぴかに磨き、自己満足と人に見せるための愛車ではなく、生活の足なので美しさよりも走り心地と耐久性が重要視されます。それから、国の制度の問題。欧州では車の維持費が安いのです。税金も車の登録のときにフランスでは 168ユーロ払っただけで古い自家用車は毎年の税金も掛からないし(保険は別ですが)、車検は2年に1回、または売る前半年以内に1回通す必要があるのですが、これがなんと 45ユーロ(約6千円)でした。予約を取った次の日に近くの車検屋さんまで運転していって、そこで待つことわずか40分。ごく最低限のチェックだけ終えてOKがでました。しかもブレーキの円盤を挟む部分(仏語でプラークというらしいが)が摩耗していてブレーキの効きが甘いから交換を薦める、と言い残して、それでも車検はパスしたのです。後から調べたところ、ブレーキ円盤やプラークなどは車の専門店で何千円かで手に入り、簡単に交換できるので、たいていの人は自分で取り付け作業をするのだそうです。車検も車自体の性能を検査するものであって、交換可能な部品に対してはあまりとやかく言わない。まして、バッテリーに至っては、かねてから調子が悪かったのであえてお願いしたのに、検査の対象外と取り合ってもらえませんでした。(その後、またエンジンが掛からなくなって呼んだJAFに相当するTCSサポートに、新しいバッテリーを取り付けてもらったらばっちり直りました。冬で寒いと古い電池は電圧が落ちるようです。バッテリーなどは普通の大型スーパーででも売られているところを見ると、やはり皆さん自分で取り付けするようですね。)ともかく、車検が十何万円もして、ちょっとでも悪いところがあると修理して高額請求されるのとは大違いです。その代わり、自身でも車の技術的知識が少しは必要となります。ロシアなどに至っては、若い女性などでもありとあらゆる部品を取り揃え、自分でスパナを持って車や自転車まで修理してしまうらしい。また欧米ではガソリン給油や洗車は全部セルフサービスです。日本ではサービスが充実していて、また古いものはどんどん捨ててしまうなかで、高い金を知らず知らずのうちに払わされているわけです。
 それで、欧州では中古車は個人売買が基本。カーディーラーを通すと更に倍くらいの値段になってしまってあほらしいので、現地の人は車に For Sale (A Vendre) と紙を貼り、地元の情報新聞などに売ります・買いますのプチアノンス(小さな広告)を出して取引相手を探すのです。
 我々の愛車も結局CERN研究所勤務でニュースグループ(電子掲示板)を見たロシア人が2700ユーロで買っていきました。新規購入して自分で配線取付したCD/MP3のカーステレオをつけて売ったとは言え、後ろをぶつけてへこんでいるのになかなかいい値段で売れました。ちなみに7千キロ乗って9万1千キロになっていました。いえ、これでもこちらでは「新しい」中古車なんです。アノンスには 87年製、16万キロなんてのが、しかも高級車ならそれでも100万円近くで売りに出ていたりするんですから。

 とはいえ、一般的に言ってジュネーヴはかなりの高級車が走っています。パリやイタリアだと本当にぼろい車が多いそうですが、ここは世界のエリートと金持ちが集まっているためにBMW、メルセデス、アルファロメオなどもよく見かけます。ヨーロッパで2番目に大きな車の展示会(オートショー)が毎年3月に開かれるのも頷けます。(日本車も沢山出展され、アサヒ・コムでも特集が組まれていました。)

交通事情

 ジュネーヴスイス国内ではチューリッヒ、バーゼルに次ぐ第3の都市(首都のベルンはもっと小さい)ですが、それでも中心部の人口が16万、州全体でも30万、通勤圏の周辺フランス領を入れても高々40万人なので生活もわりとゆったりしています。地下鉄などはなく、一部国鉄で通勤する人もいますが、バスと路面電車が市民の足。これがなかなかよくできていて、利便をよく考えた交通網になっているし、ゾーン制で制限時間以内なら何度でも乗り降り自由で重宝します。大通りではバスとタクシーは専用レーンを走るので朝夕の交通渋滞に巻き込まれることもなくスイス時刻の正確さで定時運行されています。幹線系統には2両連結のバス(又はトロリーバス)が導入されていますが、近年は更なる輸送力強化と環境対策から新型の路面電車(3〜4両編成)が見直され、他のヨーロッパの街同様、路線拡大のための道路工事が盛ん。

 バスはフランス側にも延びていますが、地域によってはなにせ本数が少ないので郊外では車が必須です。逆に街の中心は渋滞が多く、また一方通行が多くて規制が厳しいので慣れないと運転は大変。本当は左に曲がりたいのに右折しか許されず、はたまた直進を余儀なくされて、と道を熟知していないとどんどん目的地から遠ざかる。また地下駐車場は完備されていますが日中は料金が高いので、街の中心近くのショッピングセンターなどに車を停めてそこからバスで行く方が便利だったりします。街中に住んでいる人には路肩などに専用駐車スペースが設けられていますが、数が限られているので駐車できるまで毎日1時間近く家の周辺をうろうろする羽目になって苦労するそうです。

 ちなみに、バスには大きなベビーカーでもそのまま乗せることができ、専用スペースが設けられているとか、お年寄りなどに人々が親切なのは見ていて気持ちのいい光景です。尤も、小さな街だからこそ心にゆとりが持てるわけで、東京のような大都会でストレスの多い中、寛大な心を持てといってもなかなか難しいことかも知れません。それから、犬は生活の伴侶とみなされているので、大型犬でもバスに乗り込んできます。図書館やレストランにさえ同伴することが許されていますが、その代わり躾は日本より厳しく、吠える犬など人間との共生のできないものには生きる権利が与えられないのもまた社会の掟。

住宅事情

 街が小さく、中心部では規制の為に新築ビルの建設は殆ど不可能なので絶対数が不足し、ジュネーヴに赴任になったのに何ヶ月も仮住まいでアパートが見つからないという話をよく聞きます。人口の6割が外国人という異例の国際都市では人の入れ替わりも激しいのですが、それでも圧倒的な売り手市場。アパートの大家は儲かるでしょうね。

 ヨーロッパのどの都市でもそうですが、都市としてのまとまりや景観を非常に重要視するので、昔ながらの石造りの建物などは壊すことはおろか外面は壁の色に至るまで一切の変更を許されず、そのまま住むことが義務づけられています。内装はかなり自由に変えられるので中世の建物でも現代生活に必要な設備はなんとか取り揃えられるようですが、それでも洗濯機が共用のところなどが多く、自分の割り当て利用時間が土曜の朝とかに当たったりすると洗濯のために旅行にも行けないと言う人もありました。

 我々が住んでいたフランス側は周りに牛が草を食んでいたりするような田舎なので、車がないと生活できない不便さはありますが住宅には恵まれていました。ゴミ捨てなども一般ゴミはダストシュートに捨てればあとは管理人さんが始末してくれるし(住み込みの彼はビルの管理や周辺の掃除、メンテナンスなどが仕事です)、その他のゴミも瓶や缶を少し離れた専用捨て場に持っていけばいいので楽でした。これがスイス側だと、ゴミは20種類以上に分別しなくてはならず、違反していると誰かがゴミの中を漁って犯人を割り出して密告し、その後当局からお叱りが来るなどという厳しいことになるのです。スイス人はコミュニケーション下手なのか、隣人とのトラブルは当人同士で解決する代わりに、すぐに警察に通報するのだという話も聞きました。

信頼について

 車を購入したときの逸話を紹介しましょう。着いたばかりのころ、住まいへの足として欠かせない車を見つけるのが急務だったので、とりあえずは1週間ほどレンタカーをして、その間に中古車販売店などを回りました(これも車がないと行けないところにあるのですが)。でもどれも高い。10年前の車で10万キロなど余裕で越えている車でも60万円以上するし、予算以内の30万円のものは20年前の代物でガタンガタンといいながら乗り心地も悪く、エンジン音が大きくて会話も聞こえない。で、たまたまあるルノー店で外に展示してある車を見ていたときに声をかけてきたお兄さんが、ここには50万以上のしかないけど、友人が40万円で車を売りたいと言ってたから連絡してみようか、と言ってくれ、それならと話にのることにしたのでした。その後車を家まで持ってきてくれることになり、ぱっと見で購入を決意したのですが、さてそこから。当然のことながら彼は前金として4万円(300ユーロ)をその場で要求し、さて領収書をくれというと、そんなものは持っていないからなにか紙はないかと言い、私たちが持っていた手帳から1ページを破ってそこになにやら読みにくい字で書き始めたのです。最後に300と書いてから落書きのようなサインをして曰く、ここに車の前金として受領しましたと書いたから、これでいいだろ、と。ふつう領収書といったら決まった冊子があって、会社印が押してあって、カーボンコピーを取って、というイメージがあったのでひょっとして詐欺ではないかという思いが頭をよぎりました。だって、名刺こそ前に貰っていたとはいえ、そんなものは偽造できるし、声をかけられたのが店の中ではなく、外の駐車場に居たときにふっと現れた人だったことを思い起こすと、彼は実は店の従業員ではなかったかもしれない、とも思われたので。「地球の暮らし方」の本にも用心しろという話が載っていたからなおさらです。でもしかたがないので、もし騙されたらそれは勉強料だと思おうと決めて払うことにしました。

 さて後日車の受け渡しの日、ちゃんと車はやってきました。が、持ち主が来ると聞いていたのに運転して来たのはそのまた友人だと名乗る見知らぬおっちゃんがただ一人。ランチ時にワインをたっぷり飲んできたらしく赤い顔でちょっと酒臭い。(昼でも食事時にワインを飲む人は多く、飲酒運転に関しては日本よりかなり甘いようです。ちなみにディズニーランドの中でも世界中で唯一パリのユーロディズニーだけは園内で酒類の販売をしています)。まだフランス語に慣れない我々だったので、仏語しか話せない彼との意志の疎通に苦労したが、持ち主はいい友達で、とてもサンセールな奴だと言う。(辞書を引くと誠実な、という意味と分かったが、わざわざそんなこと言うのって、うさんくさくない?)で、同乗して行った県支庁で書類を書くと、さてそこで残りの金額を払えという。領収書は?と聞くと、やはりそんなもん持ってないと言い、例の紙切れを見せると、それを取り上げてその下に書いた文字が「+2700」、そして落書きサイン。それだけ。しばらく問答していても言葉が通じなくて困っているところへ颯爽と通った女性。英語を話すということで事情を説明すると、私は弁護士だから大丈夫、この人を信用してここでお金を払えばいいと思います、などという。本当なら親切な話だが、もしそうでなければうまくできた芝居の様である。実際そのような巧みな罠にはまった人の体験談はガイドブックで読んでさんざん脅かされていたのです。しかし後にはもどれない。意を決して残りの金額を渡し、ついてこいと言って役場を出たその人を慌てて追いかけたのです。向かった建物の中には何人かが窓口の順番待ちをしている様子で、そこに中古車店の彼が居たからほっとしたのもつかの間、彼は予め取っておいてくれたらしい番号札だけ渡すとさっさと消えてしまいました。まあ結局、我々の懐疑心が強すぎただけで、その窓口で車の登録が無事に済み、親切心から友人の代理を引き受けたのに疑われ続けた気の毒なおっちゃんとは、帰りに誘われたカフェでじっくり話をして誤解が解けたのでした。めでたしめでたし。

 話が長くなりましたが、教訓としては、人を見る目を養え、ということでしょうか。日本ではよく、相手の背後にある会社なり組織なりに裏付けされた「肩書き」をもって人を信用できるかどうかを判断しますが、欧州ではあくまで相手個人を信用するかいなか、自分の目と責任で判断する場面が多いのです。かりに何か問題が起きても、相手の所属する組織に苦情を持ち込むという逃げ道はなく、あくまで相手を信用した自分の自己責任。今回のケースは、中古車店で働いていたとはいえ、友人に頼まれたプジョーの車だったのだから彼にとっては営業外の仕事で、そこにルノー代理店の印を押すわけにはいかなかった。あくまで個人と個人の「信頼」と「契約」だったのです。そこで彼の方は東の果ての国から来たと称する人達を信用してくれたのに、我々が彼に対して疑心暗鬼だったので関係がぎくしゃくする結果となりました。パリのような大都会ならいざ知らず、小都市の田舎でみんな親切な人達だと知った今から思えば、悪いことをしたなという気がしますが、いい社会勉強をさせてもらいました。

 自己責任ということでいうと、社会全体がいわゆる「大人」の関係で成り立っていると思うことがままあります。例えばバスや近郊電車の切符。乗る前に券売機(ちなみにお釣りなどは出て来ないので、余分なお金を払いたくなかったら予め小銭を用意しておくのも自己責任)で切符を買っておくことになっていますが、運転することのみに責任を負っている運転手は、検札やまして切符の車内販売、精算などはしません。(だからたくさんあるドアのどこからでも乗り降りできます。)なので、その気になれば大抵は無賃乗車ができてしまう。ただしたまに抜き打ち検査があって、専門の係員が乗り込んできて検札を始めることがある。ここで有効な切符を持っていなかったら容赦なく五千円以上の罰金です。言い訳は全く通用しません。更にごだごだごねたりすれば、罰金額も上がるのです。だから見つかったら素直に払うのが賢明。もし券売機が壊れていてどうしようもなかったとか、相手に非があることを立証したかったら、強い意志を持って論理の通った主張で相手を言い負かさなくてはならない。これには相当なエネルギーとリスクを伴います。自分の主張があれば徹底的に自分でそれを正当化する術を持たなくてはいけない。券売機の故障なら、乗った停留所だけでなく、次の停留所で停車中の20秒の間に一旦降りて買おうとしたがそこでも機械が壊れていて、その次も、そのまた次も、全部壊れていた、と言ってバス会社の責任問題を追求するくらいの姿勢でないと相手は納得してくれないでしょう。これに対し、日本だと途中で切符をなくしても、なんだかんだ言って改札を通してくれますよね。これは入場時に自動改札を通ることで予め客が検査されている、つまり切符をちゃんと買ったかどうかの責任を鉄道会社に預けてしまっているからなんだと思います。欧州では切符を買って乗るかどうかは客自身の判断と責任に委ねられている反面、もし抜き打ち検札で引っかかると厳しい制裁を受ける、それが社会と個人との契約なわけです。なかには毎回切符を買うより、ずっと只乗りして、見つかったときに罰金を払っている方が手間が省けていい、というのも検札の頻度を考えると結局年間で払う金額は同じようなものになるから、などと豪語する輩もいるようですが、そんなやりかたを選ぶのもその人の自己責任なんでしょうかね。

サービスについて

 日本のサービスは本当にきめ細やかです。ただし往々にしてお節介な過剰サービスで、駅や車内アナウンスと同様ときとしてうるさく感じることもままありますが。ヨーロッパでは責任分担制なので店でもレストランでも自分の担当がちゃんと決まっているし、一般に一定のサービス以上はしてくれません。(レストランでは自分の座ったテーブルの担当者以外には頼めないとか、銀行で例えば口座開設をしようとするとそれは窓口の人の業務範囲外なので専門の担当者と予約を取って後日手続きする必要がある。) 客は決して神様ではなく、店側も客を選ぶ権利があるので、縁のなさそうな客は店に入れてももらえないとか、日本のサービスに慣れた目から見ると、応対が悪いとか遅いとか融通が利かないとか、不自由に感じられることもあるでしょうが、その分、接客側は担当の持ち分に関しては徹底的にプロに徹して応じてくれるので、案外さばさばした大人のサービスという印象で、ドライに割り切れば気持ちいいものです。日本ではちょっと質問が込み入っていたりすると若い案内係が時としてみんなで悩んでいて埒があかないといった状況が案外あるのではないでしょうか。とはいえ、欧州では信じられない対応を受けることもよくあり、その度に負けずに自分の主張を戦わせないといけないので、生活するのに相当のエネルギーを要することも事実です。駅の窓口で切符を買うだけのために30分も並ばせたり、ひどい行列ができていても昼休みがくればさっさと窓口を閉めてしまう神経にはほとほと参ってしまいます。予約した品物がなかなか届かず、毎週店に足を運んでいるのに常に答えは「来週の水曜日に入荷」といいながら2ヶ月が経ち、挙げ句の果てに入荷したと称するものは店頭展示品で、包装ビニールも破れたものを平気でよこしたとか、銀行のカード(カルトブルー兼クレジットカード)がいつまで経っても届かず、その度に足を運んで文句を言って、5回目にしてやっと発行されたとか、そういうことが日常茶飯事で起こるので、外国暮らしは根気との勝負です。

 東京のスーパーやコンビニと違い、買い物をしたければ平日なら午後7時、土曜なら6時までにすまさなければならず(ただしフランス側のスーパーは夜9時までやっているところもある、一方ドイツなどでは土曜は午前中で閉まってしまうらしい)、一斉に閉店する日曜などは食いはぐれることにもなります。トルシエ前監督は日本のコンビニを見て曰く、「この国では24時間いつでも食事にありつけるので選手の闘志が沸かなくなる」だそうですが、一理あるかもしれません。スイスでは店の営業時間も法律もしくは条例で決まっていて、その範囲を超えた時間での営業は禁止されているんです。これはそれだけ労働基準法が厳しいということになり、夏が近づく前にはもうヴァカンスの話をしているヨーロッパ人のゆとりとも関係してくるのでしょう。羨ましい限りではありますが、便利さを制限してでも生活環境、労働環境を重視するという考え方には見習うべきところもありましょう。スイスのすごいところはこうした法律・条例が全て市民の国民・住民投票で決まること。どこかのお役所が勝手に話を決めてしまうのとは違い、重要な法案は全て直接投票によるのだそうです。年に大きな投票や選挙だけでも4回あり、郵送でできるそうですが、市民も政治に直接参加する権利を行使する義務を負っているのです。おおかたにして保守的なスイス人は法案否決の態度を取ることが多く、昨年9月にようやく実現した国連加盟(ジュネーヴに国連機関が密集しているにもかかわらず国際社会でほとんど最後の加盟国となった;スイスの直後に東チモールが加盟、未加盟国家はヴァチカン市国だけ)も長年にわたる国民投票の相次ぐ否決の末やっと逆転して決まったものだし、スイスの銀行に眠る大量の金塊の半分を国家予算に回す法案にしても政府案、対案ともに過半数を得ることができずに金塊はお蔵入りすることになったし、土曜営業は実は最近午後5時から6時までに延びたのですが、これも店で働く人の労働時間延長に対する代償規定が不十分ということで一度は見送られた法案だったそうです。

スイスの多言語事情

 スイスが多言語国家だということは以前にお伝えしましたが、その話をもう少し。国外ではあまり知られていませんが、2002年にはスイスでエキスポ02が開かれました。フランス語圏とドイツ語圏の境界付近にあるヌシャテル湖、ビール湖畔の4都市5会場で、湖上に作ったモニュメントを中心にパヴィリオンを立ち並べて半年間催し物をするとともに、地域の観光促進を狙った事業です。まず案内係のお姉さんは我々の英語での質問に答えつつ、ドイツ語で電話して宿の予約を取ってくれ、別の客にはフランス語で応対していました。荷物預かりのおばさんでさえ、当然のごとく独仏のバイリンガルです。また、会場ではイタリア語圏のティチーノ州のキャンペーンをしており、イタリア語を話す人達も入り交じっていました。あるパヴィリオンの中に入ると、ステージ上にお姉さんが出てきて一人芝居をしながらスイスの発達した工業を、ファッションショー風の奇抜な演出で紹介していましたが、そこで彼女がしゃべった言語は実に5カ国語、独仏英伊ロマンシュです。ひとつの文章の途中で(あるいは文の途中でも)どんどん言語が切り替わりながら話が進展していくといった、日本では考えられない光景ですが、地元の独仏語の割合が多い台詞になっているとはいえ、(我々以外の)観客が内容をちゃんと把握できているのはさすが多言語国家です。ステージで話した台詞は決まったものを覚えているわけではありますですが、おそらく彼女自身、ロマンシュ語はともかく残りの4カ国語くらいは話せる人材なのでしょう。

 会場のひとつにビール(独語)/ビエンヌ(仏語)という街がありましたが、ここは完全に2言語が共存していることで知られています。旧市街のレストランの入り口に今日のデザートが板書されていたのですが、これが次のようなもの。

      Dessert
  * Tarte Tatin mit Zimtglace
  * Mousse au chocolat
  * Semi freddo con Amaretti

始めの「デザート(デッセール)」はフランス語で書かれ、ひとつめのタルトタタンはリンゴのタルトケーキでフランス語、でも mit Zimt の部分はドイツ語で、ならば Zimteis と書けばいいのに glace はフランス語。シナモンアイス添え。ふたつめは典型的なフランスのデザートであるムース・オ・ショコラ(チョコレートムース)。美味です。みっつめはイタリア語で書かれてあり、semifreddo は辞書を引くとアイスクリームにビスケット、クリーム、フルーツ、リキュールなどを混ぜた冷菓だそうで、amaretti はマカロン酒です。さらに食事メニューにはスイスドイツ語で Ba"a"sedo"o"ri-Ro"sti(" はウムラウトのつもり)などと書かれており、前半は固有名詞かもしれなくてよく分かりませんが、後半のレーシュティというのはスイスドイツ語圏の典型的な田舎料理で、薄切りのジャガイモをカリカリに焼いたものにベーコン、きのこ、チーズなどを組み合わせた、シンプルだけれど土地でもっとも親しまれている料理です。

 ともかく、スイスでは2,3カ国語くらいは自由に操れないと簡単な職にすらありつくことができません。例えば観光立国スイスでは接客業が発達しており、ヨーロッパ中からホテル学校に留学に来る留学生が多いのですが、接客業、これはホテルに限らず銀行や役所、時計屋、宝石商、お菓子屋、花屋を含めた一般商店、下手をするとスーパーのレジ係ですら、またビジネスマンなら電話の応対一つ取っても、相手が何語でも対応できないといけないという状況のなかで、ひとつの言葉しか話せないモノリンガリストでは役に立たないことが非常に多く、この点は日本語だけで出世ができるこの国の状況とは極めて好対照です。よく日本人は語学が(英語が)苦手と言われますが、それは外国語の必要度が日常の生活で極めて低いことが最大の要因だといえましょう。

気候(初春編)

 1月に入り、今年のヨーロッパは寒い日々が続きました。連日の氷点下5度以下の気温がフランスやスイスのテレビで話題になり、更に寒い、氷点下20度とか40度とかのモスクワの凍てついたアパートのつららや、凍傷になった人の映像が画面に流れていました。マイルドな気候のジュネーヴでも連日しばれる寒さが続き、わずか5センチだけ積もった雪が1週間以上凍ったままの銀世界。更に2月に入り、ついに最高気温すら0度を超えない日々。乾燥したさら雪に身も引き締まります。しかも雲は低く立ちこめ、時には霧で辺りの視界がない日も。とはいえ冬は絶好のスキーシーズン、フランスやスイスの山々にはヨーロッパ中からスキー客が集まり、雲海の上に頭を出した峰々を眺めながらの滑走は爽快そのものです。裏山のジュラ山脈でも地元のスキー場が稼働し、学校のスキーヴァカンスシーズンにはフランスからの家族客で賑わっていました。

 外は寒くても、建物の中に一歩入れば暖かい全館暖房。欧州ではどのアパートもお湯を循環させてラジエータから放熱させる式のセントラルヒーティングが導入されていて、どの部屋も20度前後に保たれていて快適そのもの。もちろんそうでなければ厳しい冬のこと、生命に関わることだけに、このへんの設備はしっかりしているのですが、日本に来た同僚のスウェーデン人が、東京の冬はストックホルムよりずっと寒いと言っていた言葉を実感しました。確かに東京では部屋の中が結構冷えるのです。

 3月。うって変わって春の到来。今年は記録的に2月が寒く、3月が異様に暖かかったのだそうですが、一気に気温が20度も上昇して日中は15度。東京よりも数日早く咲いた山桜里桜と黄色いれんぎょうが、それまで灰白だった憂鬱な世界を一変して明るくしてくれました。道行く人も活気づき、こころなしか皆うれしいそう。我々も1年間の思いを胸に、帰郷準備です。

 4月に入って、花冷えというのか、天候も崩れ、気温が10度くらい下がって肌寒くなりました。一度は雪すらも。でも街には復活祭を祝うイースターエッグやチョコレートで作ったウサギの置物が売られ、命の息吹を祝います。時節柄、平和を願う虹色の大きな旗も街中にはためき、人道支援を担う国連の街ジュネーヴの人々の気持ちを表していました。

 さて、長々とここまで読んで下さった方、ありがとうございました。それではこのへんで。


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リンク先:スイスのエキスポ02の公式ページ(フランス語【フォントに注意】)

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