反水素原子ビーム生成に成功
※この研究は日本学術振興会科学研究費補助金特別推進研究「反水素の超微細遷移と反陽子の磁気モーメント」(2400008)の助成を受けたものです。
私達 ASACUSA MUSASHI グループは、CERN (セルン)において開発してきたカスプトラップを用いて反水素原子ビームの取り出しに成功しました(参考文献 1 )。
これは、同じ ASACUSA の一員であるオーストリアのステファンマイヤー研究所、イタリアのブレッシア大学と共同で行なった研究です。
従来の反水素合成では、合成装置そのものが持つ強い磁場中に閉じ込めるため、高精度分光を達成するのは困難だと考えられていました。
ASACUSA ではカスプトラップを用いることで、トラップ自身の磁場の影響が無視できる領域までビームとして反水素原子を引き出す方法を開発してきました。
2010 年のカスプトラップ中での反水素原子合成に成功した時に比べて生成効率を 10 倍に高めるなどの改善を通じて、今回、反水素原子ビームの生成を確認しました。
この成果を利用し、反水素原子の基底状態の超微細構造分裂のマイクロ波分光を行なうことで、 CPT 対称性の検証につながると期待されています。
合成法の改善による収量増加
図 1 : 反水素ビームビーム引き出し実験におけるセットアップ
図 2 : フィールドイオン化法で検出された反水素原子数の混ぜ合わせ開始からの時間変化.黒は従来の手法で陽電子数を増加させた条件で得られたもの.赤で示された点が今回の結果で,RF による反陽子の運動の励起によって反応が長時間続いている.
反水素原子の構成材料は、反陽子と陽電子です。
陽電子は、22Na 線源から出てくるものを使用します。図 1 の "22Na 陽電子線源" 中に設置されており、固体 Ne モデレータと窒素ガスによるバッファーガス冷却によって減速、冷却して"陽電子蓄積器"内の多重リング電極トラップに閉じ込めます。一定量溜れば、順次、CUSP トラップに輸送します。
反陽子は MUSASHI からの超低速反陽子を用いました。CERN の反陽子減速 (AD)から供給された反陽子は、図中の "MUSASHI trap" 内に蓄積、冷却された後、"CUSP trap" に輸送されます。
CUSP トラップ中では、2010 年の時と同様に入れ子にした電位配置を作り、カスプ磁場をそこに重畳しています。
今回は、固体 Ne モデレータに換装することで,反水素原子の収量を増やすことができました.更に反陽子を陽電子プラズマに入射して混合している最中に、外部から RF を印加し反陽子の運動を制御し反応時間を引き伸ばすことで、収量を大幅に増加させることに成功しました(図 2 )。
ビームの検出
図 3 : a) 反水素原子による BGO シンチレータへのエネルギー付与 b) エネルギー閾値毎の検出数 c) シミュレーションから得られる条件毎の検出効率で反水素数を評価するとほぼ一定であることが示された。
合成された反水素原子は、カスプトラップから飛び出してきます。
私達は、無機結晶 (BGO) のシンチレータを用いた検出器を開発し、カスプトラップから 2.7m 離れた場所に設置しました。ビームラインをこれだけの長さにすることで、トラップ自体の強磁場の影響を無視できるようにしています。
図 3 a) の白抜きのヒストグラムは、反水素原子合成条件時に得られた BGO 結晶でのエネルギー付与のスペクトルです。一回の合成時間 150 秒で規格化しています。
一方同じ図中の薄い青のヒストグラムは、バックグラウンド測定によるものです。高いエネルギー領域で差が見てとれます。この差がカスプトラップから 2.7m 飛行した末に BGO 結晶に衝突した際のもの、すなわち反水素ビームによるものと考えられます。
この差の定量的な評価は、次のように行なっています。
図 3 b) はエネルギー閾値毎に図 3 a) を切った時の「数」です。
下の表から,バックグラウンドを考慮すれば,検出された反水素原子は合計でおよそ 80 個にのぼることがわかります.
これを検出器のシミュレーションから得られる閾値毎の検出効率で評価しなおしたものが図 3 c) です。解析では,40 MeV を閾値として採用しています.
この時、BGO 結晶の手前には、強い電場勾配をかけて主量子数 n の高い状態の反水素原子をイオン化して跳ね返してしまえるようになっています。
図 3 c) からは n が 43 より低いの状態にあるものが 150 秒当りおよそ 6 個あり、29 以下のものがおよそ 4 個あると推測できます.
現在のところ一度の合成に実際に必要な時間は,陽電子の蓄積,5 MeV 反陽子の減速,冷却,蓄積などを含めて 15 分弱であり,n < 43 の反水素原子は,CERN の AD の運転 1 時間当たり 25 個が 2.7m 下流まで飛来していることになります.
これまでは、主量子数の高い状態( n が 45 から 50 程度)の反水素原子がカスプトラップ中で確認されていたのですが、今回の結果から、カスプトラップから遠く離れた場所に到達したビームには低い主量子数の反水素が含まれることがわかりました.
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n<43
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n<29
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background
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合計測定時間 (秒)
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4,950
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2,100
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1,550
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二重コインシデンスしたイベント数
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1,149
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487
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352
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エネルギー付与が 40 MeV 以上あったイベント数
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99
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29
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6
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統計的有意性 (ratio of Poisson means の Z 値)
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4.8 σ
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3.0 σ
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-
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単位時間当りの推定到達反水素原子数
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6
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4
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-
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今後の予定
今後も装置や手法の改良を続けて、反水素ビームの強度を高め、ビームの性質(温度や偏極度、反水素原子自身の量子状態)を調べていきます。
同時に、マイクロ波共振器を超微細構造分光ビームラインに組込み、反水素原子の基底状態の超微細構造分裂の精密測定に進みます。
参考文献
- N. Kuroda, S. Ulmer, D.J. Murtagh, S. Van Gorp, Y. Nagata, M. Diermaier, S. Federmann, M. Leali, C. Malbrunot, V. Mascagna, K. Michishio, T. Mizutani, A. Mohri, H. Nagahama, M. Ohtsuka, B. Radics, S. Sakurai, C. Sauerzopf, K. Suzuki, M. Tajima, H.A. Torii, L. Venturelli, B. Wünschek, J. Zmeskal, N. Zurlo, H. Higaki, Y. Kanai, E. Lodi Rizzini, Y. Nagashima, Y. Matsuda, E. Widmann, and Y. Yamazaki
"A source of antihydrogen for in-fligh hyperfine spectroscopy"
Nat. Commun. 5:3089 (2014).
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