GBAR 実験 (反物質にはたらく重力の測定,反水素原子のラムシフト分光)

GBAR 実験での反水素原子と反水素イオンの生成

GBAR (Gravitational Behaviour of Antihydrogen at Rest) は,陽電子と反陽子という反粒子で構成された最も単純な反原子つまり反水素原子を自由落下させて地球との間にはたらく重力加速度を測定することで,弱い等価原理を検証しようという実験です.

反粒子とは、粒子と質量、寿命、スピンなどの物理量やバリオン数、レプトン数といった量子数の大きさは同じですが、それらの符号が反対のものです。特徴としては、粒子と反粒子が出会うと消滅し、エネルギーになることが挙げられます。実際には、電子・陽電子対の消滅では、スピンの状態によりますが、511keV (電子や陽電子の質量に相当)のγ線 2 本を放出します。反陽子 \( \overline{p} \)と核子の消滅では複数個のπ中間子を放出します。反陽子と陽電子が結びついた状態は,陽子と電子の組合せである水素原子の「反対」の反水素原子と呼ばれます。

反水素原子の合成に使用できる低エネルギーの反陽子は,世界で唯一 CERN で供給されています. 反陽子は,高エネルギーの陽子ビームを金属の標的に照射して陽子との対生成で作ります.CERN では周長およそ 600m の PS (陽子シンクロトロン)からの 26GeV/c の陽子ビームがおよそ 2 分に一回の割合でイリジウム標的に照射されます.一つのパルスビームには \( 10^{13} \) 個強の陽子が含まれています.対生成で得られた反陽子ですが,負の電荷を持つため,磁場を使って正の電荷を持つ陽子と分離できます.ある運動量 (3.5GeV/c) をもつものだけをAD (反陽子減速器,周長 182m)に導き,冷却と減速を繰り返して,およそ \( 3\times 10^7 \) 個の反陽子が 100MeV/c,つまり運動エネルギーに換算して 5.3MeV で供給されます.つまり,高エネルギーの陽子ビームから低エネルギーの反陽子ビームを生成する効率は \( 10^{-6} \)のオーダーです. これまで,この「低」エネルギー反陽子が ASACUSA を始めとする幾つかの実験で反水素合成に用いられてきましたが,反水素原子を合成したりそれを分光する原子物理の実験にまだまだエネルギーが高く,ここから更に減速して得られる反陽子は少く,とても非効率でした.

2018 年より ELENA という超低エネルギー反陽子リングが動き始めています.これは写真にあるような周長 31m の六角形のリングで AD からの 5.3MeV の反陽子ビームを更に減速,冷却し 100keV のビームにして各実験におよそ \( 4 \times 10^6 \)個ずつの反陽子を供給する装置です.GBAR ではこの ELENA からの反陽子ビームを使い,反水素原子や反水素イオンを合成します.

ELENA

ELENA (ExtraLow ENergy Antiproton ring)

陽電子については,ASACUSA 実験では放射性同位元素 \( \rm{^{22}Na}\) のβ+ 崩壊で陽電子を得ていますが,GBAR 実験では,9MeV の線型加速器を用いて電子との対生成から得ています.9MeV の電子ビームをタングステン標的に 300Hz の頻度で照射し,得られた陽電子をバッファーガスで冷却した後,高磁場のトラップに蓄積します.

水素原子に電子が余分に一つついた状態は負水素イオン \( {\rm H}^- \) として知られます。同様に反水素原子に陽電子が余分に一つついた反水素イオン \( \overline{\rm H} ^+ \) も可能です。 私たちの参加する GBAR 実験は、電子 \( e^- \) と陽電子 \( e^+ \) の束縛状態であるポジトロニウム \( {\rm Ps} \) と反陽子の衝突反応を使って反水素原子を作ります.それだけでなく,生成された反水素原子がさらにポジトロニウムと衝突することで,反水素イオンを生成します. \[\overline{p} + {\rm Ps} \rightarrow \overline{\rm{H}} + e^- \] \[\overline{\rm{H}} + {\rm Ps} \rightarrow \overline{\rm{H}}^+ + e^- \] これらの一連の反応によって反水素原子のみならず、反水素イオンを得る計画です. 得られた反水素イオンを RF トラップにつかまえて,レーザー冷却し,陽電子を一つはがして中性にし、その「自由落下」から反水素原子にはたらく重力加速度を直接測定することを目指しています。

私たちは、また、上の反応で同時に生成される反水素原子ビームを使って、反水素原子の n=2 のラムシフトを精密に分光する準備を進めています。ラムシフトを精密に測定すると、反水素原子の原子核である反陽子の電気的なひろがり(電荷半径や荷電半径と呼ばれる)を知ることができます。陽子については、分光や電子散乱によって測定されてきていますが、反陽子についてはこれまで一度も測定されたことがありません。


GBAR collaboration のページ
ASACUSA 実験のページ
松田研の研究紹介のページ

このページに関するお問合せは、wwwtrap@radphys4.c.u-tokyo.ac.jp までお願いします。