物理のページ

[Japanese | English(?)]

主に携わっていること

陽子の反粒子である反陽子を電磁場でトラップしています.反物質トラップです,と言うと大層に聞こえますが,要はイオントラップです.消滅を避ける為に極高真空状態に保つことが重要です. 以下に簡単に述べていますが,スイスの CERN において,反陽子をトラップに大量に蓄積,冷却し,超低速反陽子ビームを生成する手法を開発しました. 現在,その超低速反陽子を用いて,低エネルギー領域での原子衝突過程の研究, 反水素原子合成とその分光学的研究を進めています.
(この研究は共同研究ですが, 賞を頂きました.一緒に研究をしてきた皆様に感謝致します.). ▲



ASACUSA MUSASHIについて

研究は,ASACUSA という実験グループの一部として進めています. CERN では LHC に代表される所謂,「高エネルギー物理」「素粒子物理」「原子核物理」に分類される研究が主に行なわれていますが, ASACUSA は,低速反陽子を用いて「原子物理」に分類される様々な研究を行なっているグループで,東大(駒場や本郷のグループがあります)と理研,それ以外にもデンマーク,イタリア,ドイツ,オーストリア,ハンガリー,イギリスなどなど様々な国の研究者が一緒になっています.私の参加している駒場と理研が主となっている MUSASHI と称するサブグループは,超低速反陽子源の開発※とそれを用いた衝突実験(反陽子原子生成過程,イオン化過程の研究),反水素生成と分光を目的としています.装置開発,実験, 解析はサブグループ全体,十人くらいで進めています.流石にテーブルトップの一人だ けで出来る実験ではありませんが,それぞれ,自分の「仕事」を持てますし, また,決して単なる歯車の一部で終わることもなく,常に全体が見えて,しかも関与 出来る「手頃な」規模です.
(※これをそもそもハンガリー出身の共同研究者が MUSASHI と名付けたのが由来.Mono-energetic Ultra-Slow Antiproton beam Source for High precision Investigation の略ということになっています. MUSASHI はその昔,米軍に撃沈されたヤツではなくて a famous japanese warrior の方.東京周辺は武蔵国ですが,命名者はそこまでは考えていなかったと思います.)

実験は,スイスのジュネーヴ市郊外で,フランスとの国境にまたがっている CERNで行なっています.準備や予備実験を日本で することもあります.わざわざ遠い欧州の田舎で実験をしているのは, 我々の興味のある低いエネルギー領域の反陽子を供給する装置が CERN にしかないからです.米国のフェルミ国立加速器研でも反陽子を供給していて,ビーム強度は CERN よりも強いくらいだそうですが,高エネルギー反陽子しか供給してくれないようです. 以前は筑波の KEK でも反陽子を作っていて反陽子ヘリウムはそこで発見されています が,今は動いていないようです.ドイツの GSI では反陽子を使う実験施設の計画もあるようです.
ASACUSA については,詳しくは こちらも参照のこと. ▲


実験に必要なもの

この実験には,今話題の LHC のような周長 27,000m もある巨大加速器は必要ありません. CERN ではイオン源からの陽子をブースターを経由して周長 628m の Proton Synchrotron (PS)で 25 GeV まで加速したものを金属の標的にぶつけて反陽子を生成しています.その反陽子を反陽子減速器 Antiproton Decelerator (AD, 周長 182 m)に集めて減速,冷却を行なってから 5.3MeV のエネルギーのビームとして各実験グループに供給されています.

流れをまとめると図 1 のようになっています.幾つもの加速器や減速器を使って反陽子を生成,減速,冷却してこの研究に使える反陽子ビームに仕立てています. 直接開発及び実験に関与しているのは 7 から 11 の装置です.

PS complex

図 1:PS Complex

  1. LINAC2 :
    Duoplasmatron イオン源から proton (陽子)を引き出して加速,50MeV
  2. PSB (PS Booster):
    更に加速, 1.4GeV
  3. PS (Proton Synchrotron):
    もーっと加速(26 GeV/c まで)
  4. Ir ターゲット:
    反陽子生成(p + p -> p + p + p + pbar)
  5. AD (Antiproton Decelerator):
    反陽子を溜めて減速,冷却,
    2.8GeV → 5.3MeV
  6. RFQD (Radio Frequency Quadrupole Decelerator):
    更に減速, 63 ± 60keV で可変
  7. MRT (Multi-Ring Electrode Trap) in Superconducting solenoid:
    反陽子を一箇所に閉じ込めて冷却,止めてしまう, < 0.1eV
  8. ultraslow antiproton beam transport line:
    お望みのエネルギーのビームにして下の gas jet chamber, cusp trap その他に輸送,
    10eV〜1000eV
  9. supersonic gas jet chamber:
    ガスジェット標的に超低速の DCライクな反陽子ビームを交差させて,原子をイオン化したり,反陽子原子を作ったりする
  10. cusp trap:
    反陽子を超低速パルスビームにして cusp トラップに輸送.その中で陽電子と混ぜて反水素を作る
  11. positron source :
    22Na という放射線源から出る陽電子を電磁トラップに蓄積する装置.溜めた陽電子は上記の cusp トラップに随時輸送する

以上の 1 から 5 の加速器群は この辺に情報がある. 実験グループのweb site はこちら.日本語のページ. ASACUSA での反水素実験のweb site はこちら. ▲



超低速反陽子ビーム生成の簡単な解説

この研究では,Multi-Ring Electrode Trap (MRT 或いは Mohri trap) と呼ばれるトラップを用いている.これは,超伝導ソレノイドによる静磁場と円筒電極の作る静電場を用いて反陽子(やその他の荷電粒子)を閉じ込める装置で,その中で,冷却,密度分布を制御した後「超低速反陽子ビーム」にしている.

反陽子の「冷却」

μ粒子とは違って反陽子の寿命は(ほぼ)無限なので,巨視的な時間をかけて 反陽子を減速,冷却できる利点がある.勿論,極高真空下におかないと残留ガス(の原子核)に吸われて消滅してしまう.その為,反陽子を閉じ込めているトラップを構成する電極群は 4K に冷却できる真空容器内に設置し,残留ガスを「凍結」してしまえるようになっている.一方でこのような極高真空中に蓄積された反陽子の運動エネルギーを何らかの方法で下げていかないと冷却はできない. この点でポジトロニウム生成反応が吸熱反応となって分子との散乱で冷却が可能な陽電子とは違う. 磁場中の電子はシンクロトロン放射(サイクロトロン放射)で「自動的」に冷却され,また反陽子とは安定に共存できるため,ここでは電子を「冷媒」として用いている. 因みに陽電子についても三体結合が重要になるような極低温までは反応性は低く,電子プラズマを陽電子の冷却にも応用されることがある.

反陽子トラップ

Penning trap scheme

図 2: 反陽子トラップの原理

反陽子トラップの基本原理は Penning trap と同じで,簡単には次のように説明できる. 図2 では円筒型の Penning trap だが,そこにあるにように二組の電極に閉じ込めたい荷電粒子と反対の電荷符号で十分な大きさの電位を与えて荷電粒子を跳ね返し,円筒の軸に平行な方向の荷電粒子の運動を制限する.しかし,このままでは軸に垂直な方向には逃げることができる. そこで,軸に沿って磁場を印加し,荷電粒子を磁力線に巻きつかせる.これによって荷電粒子を三次元的に或る領域に閉じ込めておくことができる.
ここで使っている MRT は,反陽子閉じ込め領域に多重円筒電極を使うこと, 図2 で言えば,真ん中の電極を複数の電極で置き換えることで非中性プラズマを閉じ込めている電位に軸方向の分布(ここでは調和ポテンシャルを形成している)を持たせている. これによって回転楕円体プラズマを形成でき,長時間安定に大量の荷電粒子を閉じ込められる.

MRT では,閉じ込めている非中性プラズマがこのトラップ中で回転楕円体になることを利用して,プラズマ内の波動を測定することで非破壊的にプラズマの温度や形状を知ることが出来る. 例えば電子冷却中に電子プラズマの温度を静電振動から推測して反陽子の冷却の様子をモニタすることができる. また,このようなトラップ中にある非中性プラズマは剛体回転平衡状態にあるとされ, 何らかの方法でトルクを与えるとプラズマの動径方向の密度分布を制御できる.

超低速反陽子ビーム生成の流れ

antiproton trap scheme

図 3: 超低速反陽子ビーム生成スキーム

上述のように CERN ではイリジウム標的に 26GeV/c の陽子ビームを照射して反陽子を生成し, 3.57GeV/c のものを AD のリングに導入蓄積している.AD は反陽子(3.57 GeV/c)の冷却,減速を繰り返していき最終的に 100MeV/c, 運動エネルギー換算で 5.3MeV の低速ビームにしている.3000万個くらいの反陽子が 100秒に一回,150ns くらいのパルスビームで供給される.
上記の CERN の PS-complex で供給されている 5.3MeV の低速反陽子だが, 「低速」とは言っても我々の興味のある実験から見ると遥かに高いエネルギー領域にある. これまで行なわれてきた研究や現在 AD において実験している他の実験グループでは MeV の領域にある反陽子を減速箔(degrader foil)で 10keV 程度にしているが,とても効率が悪く,AD からの 1 パルスあたり高々 2 ― 3万個しか使えない. ASACUSA では通常,シンクロトロンの入射器として使われることの多い RFQ を逆に運転 して減速器として使う RFQD を開発したことで,数十から百倍多い反陽子をトラップで きるようになった(参考文献).

我々はこの RFQD を経て約 110keV になった反陽子ビームを減速用の薄膜(ペットボトルなどに使われているポリエチレンテレフタラート Polyethylene terephthalate (PET) を60μ m位まで薄くしたものを二枚重ねにしている)を通過させて 10keV 程度まで減速した後, トラップ内に導入している.図2 で左方から来た反陽子を反対側の出口付近(電極 DCE)で -13kV の電位で跳ね返し,半導体スイッチを用いて高速で -13kV の電位の「蓋」(図の UCE)をすることでトラップ内に捕まえることができる(図3 の(a)). トラップされた反陽子は -13kV の壁の間を行き来するが,この時,予め閉じ込められていた電子プラズマの中を往復する.強磁場中(2.5 ― 5T)にある電子は前述のようにシンクロトロン放射によって「自動的」に冷えるので,結果として電子とクーロン散乱を繰り返す反陽子も sub eVのエネルギーまで冷却される(「電子冷却」と呼んでいる.図3 の(b)).これには 20 から 30 秒程度かかる. 冷却後,不要になった電子はトラップ領域から追い出している.この時トラップ電場による調和ポテンシャル内で調和振動をしている電子と反陽子のそれぞれの振動周期の違いを利用して,電子は出ていくが反陽子が出ていけないような極めて早い時間だけトラップ電圧を落すことで電子だけの追い出しを実現している(図3(c)).

こうして冷却された反陽子をトラップから引き出して「超低速反陽子ビーム」にするのだが, 反陽子トラップは超伝導ソレノイドによる強磁場中にある為に,そのまま反陽子雲を磁場のないところに引き出すと磁力線に沿って動径方向に拡大し電極などにあたって失なわれてしまう. そのため反陽子を軸付近にかき集めることで「引き出し」の効率を高めている. トラップの円筒電極の一つを方位角方向に四分割し,それぞれに位相がπ/2ずつずれた高周波をかけることで円筒の軸付近にいる反陽子からは回転している電場が見えるようにしている.これが反陽子雲にトルクを与え,結果的に反陽子を軸付近に集めることが出来る. このように回転高周波を「反陽子プラズマ」に印加することで反陽子雲(プラズマ)の密度分布を制御できる(図3の(d))(参考文献).

現状

現在,上記の装置において冷却された反陽子雲を 250 eV に再加速し,「超低速」反陽子ビーム源 (MUSASHI, Mono-energetic Ultra-Slow Antiproton beam Source for High precision Investigation)として実際に運用できるようになっている. 低エネルギー領域での反陽子と原子の衝突過程(数十から数百eV での領域での反陽子によるイオン化や,数十eV 以下における反陽子原子生成過程)の研究に用いている(参考文献). また,この装置で得られる「大量」の,これまで報告されていた反水素原子の合成に使 われていたものよりも二桁ほど多い反陽子を使っての「冷たい」反水素原子ビームの合成も進展している(参考文献).反水素原子については,ここに述べたトラップとはまた毛色の違うカスプトラップを用いている. 今後は反水素原子の分光学的な研究を進めていく予定である. ▲

図 4: CERN AD にある実験装置.奥が反陽子トラップの入った超 伝導ソレノイド.輸送ラインで反陽子を運んで超音速ガスジェット実験槽で衝突実験を 行なっている.

図 5:250eV 反陽子ビームのプロファイル


関連するリンク

文頭へ ▲

その昔,駒場でやっていた予備実験と検出器の準備の記録

  • トラップ中の陽子雲の回転電場による制御 (2001 年 2 月 5日更新) ==> 実験記録

  • Delay-Line anode 付き Micro Channel Plate 関係の「絵」 (2001 年 4月 25日更新) ==> 詳細

    文頭へ ▲