反水素、低速反陽子の実験 ASACUSA MUSASHI

低速反陽子を用いた研究

私たちは、MUSASHI からの非常に低いエネルギーの反陽子ビームを、反水素原子や反陽子原子の合成に利用しています。

反水素ビーム生成と分光

反水素原子を合成し、その性質を調べて物質との対称性を検証する実験を進めています。

1990 年代末に高エネルギーの反陽子ビームと Xe ガスターゲットの衝突でたまたま生成された反水素原子はそれ自身大きな運動量を持っており、精密な測定の対象たりえませんでした。
2002 年に CERN で相次いで報告された冷たい反水素原子の合成は、MUSASHI でも使っているペニングトラップ型の電磁トラップを用い,通常一つ用意する静電ポテンシャルの井戸を反陽子用と陽電子用の二つを入れ子状にした配置に変更し,その中で両者を混ぜ合せることで達成されたものでした。 しかしこの方式では、出来た電気的に中性な反水素原子をトラップすることはできず、 それらは出来た途端にトラップから飛び出して周囲の壁に当って消滅してしまっていました。 そこで私たちは、低エネルギー領域で合成された反水素原子の物理測定を行なえるような特別な装置を開発しています。

反水素原子を手に入れその性質を精密に調べるには、まず材料である反陽子と陽電子をたくさん、しかもなるべく低いエネルギーのものを用意しなければなりません。 MUSASHI を使うことで大量の冷えた反陽子を用意できます。 一方陽電子は、22Na 線源から放出される陽電子を反陽子トラップと同様の電磁トラップに蓄積することで得ることができます。

CUSP trap setup

図 4:CERN にあるカスプトラップと MUSASHI, 陽電子トラップ

反水素トラップ

図 5: カスプトラップ装置内に設置されている反水素トラップ用多重円筒電極

そのようにして用意された反陽子と陽電子を混ぜ合わせる装置として開発してきたのがカスプ (cusp) トラップです。これは、アンチヘルムホルツコイルで生成されるカスプ磁場に静電場によるポテンシャルを重畳して、反陽子と陽電子を同時に閉じ込められるようにした装置です。 反水素原子は電気的に中性ですが、磁気モーメントを持つことから、磁場勾配があると、その力で閉じ込めることができるのです。 CERN で反水素分光を目指している他のグループ(ATRAP, ALPHA)では、極小磁場配位を持つ Ioffe-Pritchard 型のトラップを用いて、反水素原子を閉じ込めて 1S-2S 準位のレーザー分光を目指しています。
一方、私達の「カスプトラップ」の最大の特徴は、閉じ込めだけでなく、基底状態の反水素原子をスピン偏極したビームとして取り出せる可能性が示されていることです。このことを利用し、偏極反水素ビームを用いて、反水素原子の基底状態の超微細構造分裂のマイクロ波分光を行なうことで、反陽子の磁気モーメントを精密に測定することができます。(最近の成果も参照)。これは 1S-2S 準位の分光とは相補的な情報をもたらしてくれると考えています。
測定された陽子のそれらとの比較を通じて、CPT 対称性の検証、本当に物質と反物質は対称なのか、に少しでも繋げていこうとしています。

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反陽子と原子、分子の衝突過程

研究テーマのもう一つは超低速反陽子と原子や分子との衝突過程の研究です。

反陽子は負の電荷を持つ重たい粒子で原子構造を持たないという点から、原子衝突過程の研究においては特異なプローブとなりえます。 原子標的に反陽子をイオン化エネルギー以上でぶつけると、原子から電子を弾き飛ばしますが(イオン化)、負電荷を持っていることから同じ質量でも陽子とは違って電子捕獲チャンネルは存在せず、より単純な過程を見ることができます。 言い換えると、陽子や電子との比較から、衝突過程において荷電符号の寄与と質量の寄与を分離して扱えるようになることを意味します。 特に原子衝突過程においては、荷電符号に関する現象の非対称性はボルン近似の適用できなくなる低エネルギー領域で顕著になってきます。
例えば水素原子に反陽子をぶつける場合、この衝突過程に関与するのは水素原子核(陽子)とその周りの電子、そして反陽子の 3 体だけでとても単純な系ですが、 数百 eV 以下の非常に低いエネルギー領域では実験的には確認されておらず、理論も相互に食い違っています。

cross sections of He by
antiproton impact

図 6: 反陽子による He のイオン化および反陽子捕獲断面積。理論予想と実験結果

また、物質中に反陽子を止めると、ここでも「重い電子」として標的の原子核に束縛されて反陽子原子を形成します。 例えば、反陽子を液体ヘリウム中へ入射すると多重散乱の果てに反陽子ヘリウム原子が形成されることが知られており、本郷のグループを中心にそれの高精度レーザー分光による研究で大きな成果が上がっています。 しかしながら、そのような反陽子原子の生成初期過程については、図 4 に示しているように非常に低いエネルギーによる衝突断面積などがまだ一切実験的に明らかにされおらず、詳細はわかっていません。 私たちはガス標的と超低速の反陽子ビームを交叉させて単回衝突条件を作り出し、反陽子原子生成断面積を測定を進めています。

super sonic gas jet chamber

図 7: 反陽子原子生成用超音速ガスジェット実験槽

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