絶対音感に関して、主に私の所属する合唱団のメイリングリストで盛り上がった意見を羅列してみましょう。(無断引用お許しください)。
なお、「絶対音感の人の感じる音の色」についての意見はこちらに掲載しました。
Sさん>
私は「この楽譜、短三度あげて歌って欲しいんだけど」なんて言われると、もうパニックです。だって楽譜に書いてある音と違うんだもん。(;_;) 音だけもらえば移調が簡単にできちゃう人がとてもうらやましい。。。。
Kuさん>
さて、絶対音感のことで盛り上がっているようですが、僕のは皆さんのものに比べて、かなりいい加減な絶対音感のような気がします。音の高さはある程度聞き分けられるけれども、この音の名前は何っていう対応づけの訓練が不充分なのでしょうか。
Aの音は、NHKの時報を思い浮かべます。Dの音は、何と言っても、「夜の歌」の最初の音ですよね。白ばらのコンマスをやめてかなり経つのに、指揮を始める前にピアノでたたいたDの音がまだ耳に残っています。
Sさんや鳥居君が書いておられる調性の感じは、僕にもわかります。ヘ長調は絶対柔らかい感じがするし。でもいい加減な絶対音感なので、鳥居君が書いておられるメリットもデメリットも、それほど切実ではなかったりします。例えば、最近はバロックや古典派の音楽はオリジナル楽器で演奏されることが多いですよね。その場合およそ半音低いわけですが、現代楽器(ピアノなど)で絶対音感の訓練をやりすぎてしまうと、オリジナル楽器と演奏するとき、困りますよね。僕はオリジナル楽器のオーケストラと歌ったときに、特に困らなかったから、やっぱりいい加減な絶対音感なのでしょう。こんな人って、結構ほかにもいるんじゃないかと思ってるんですが、どうですか?
Aさん>
ここにも一人いい加減な絶対音感(それって絶対か?)の持ち主が一人います。私の場合は他人や楽器の出す音はそれなりの精度で瞬時に聴き分けられますが、自分の出す音については精度も今一つだし時間がかかります。実は、頭の中にピアノの鍵盤を思い浮かべて叩いてやらないと音が出てこないのです。そろばんみたいですね。
私がピアノを弾いていたのは6才から12才まで。鳥居君の説によれば始めるのが少しだけ遅かったのでしょうね。
子供用のおもちゃに楽器類似物がありますが、いい加減なものをうっかり与えると感性や能力をspoilしそうで怖いです。その点A先生に頂いた赤ちゃん用の鉄琴は優れもので、音も綺麗だし適当に叩いても音楽的になるように音を抜いてあります。演歌バージョンとか沖縄バージョンとかあるといいかも (^o^)
#ドとミとファとソとシの音しか出ない〜
Koさん>
私も、いい加減目の(?)絶対音感人間のようです。(ピアノは4才から13才まで、習ってました。)
小さいころから音の名前をあてるのには全然苦労しなかったし、救急車は「シーソーシーソー...ラーファーラーファー」だったし、関東のGIは「レーレレレーレレファー」ですし(冗談)。
でも逆に、半音以下の音の違いには無神経に育ってしまったらしく、高校で吹奏楽に入ったらピッチ合わせの微妙な所がよくわかんなかったし、白ばらでも長いこと、「常に低めの正しい音」を歌っていたようです。
#どうしてもピアノの感覚で、音を半音単位のデジタルなものと捉えちゃうらしい。
吹奏楽部時代は、初心者のくせに譜読みだけは誰よりも早く、「楽譜もらって3日間だけは先輩より上手い」と言われていたし、プーランクの音取りも苦労しませんでした。この辺はお得かも。
皆さんが書かれていた「調の色」ですが、やっぱりありますよね。私は吹奏楽(大部分の楽器がB(or
Es)調)やってた名残か、変ロ長調や(黄色)変ホ長調(草緑色)あたりに思い入れが強くなることが多いです。
#だから鳥居さんと逆に、フラットは多くても大丈夫だけどシャープいっぱい系にすこーし弱いです。
鳥居さんが書かれていた移調楽器のことですが、私もだめですね。たまたま(というか好みで)選んだユーフォニウム(チューバの1オクターブ高い「子供」)はB管だけど新しい楽器故にへ音記号の実音表記でしたが、同じ管長&音域のトロンボーン(現代吹奏楽では実音表記)のたまにB調(しかもテナー記号!)表記の楽譜を見と......。さっぱり。
AとかBとかEsとか様々な表記の楽器を操る友人は、「慣れだよ、慣れ」と言いますが、やっぱり絶対音感があるとつらいんじゃないでしょうか......。
#実は合唱のテノールの「実音の1オクターブ上表記」にもかなり抵抗があった......
Kaさん>
ご無沙汰してます、私も絶対音感持ってます。ぼくが3才の時に姉がピアノを始めたのですが、そのときにぼくもやりたがったらしくて(本人には記憶なし)ピアノと聴音を始め、自然と絶対音感を身につけることができました。(一つ年上の姉も絶対音感をもってるようです)合唱をやってると、絶対音感は非常に邪魔なときもあって、「いまは、絶対音から1/4くらいずれてるから・・・」とか考えて音を出すときがあります。当然、階名歌いは大の苦手です。
白ばら時代に、いくつかの詞に曲をつけさせていただきましたが、歌詞のイメージ色から、調を決めたりしたこともありました。(その勝手のせいで、歌い手には声域外のとんでもない音を強いたりするのですけどね)
Tさん>
私自身の中にある「絶対音感」の定義は、「聞こえてくる音という音がドレミできこえる」というものです。音に固有名詞がある、とでもいいますか。「Fの音には「ファ」という名前が付いている」という感じ。多くの「絶対音感所有者(なんて言い方あるのか?)」が階名読みを苦手としているのは、この、「音に付いてる名前」として固有のドレミを認識しているせいではないでしょうか。ま、これは私一人の感覚かもしれません。
Oさんが、習得楽器や時代によって違うのなら「絶対」ではないのでは、といったニュアンスのことを書いてらっしゃいましたが、確かに、厳密には、「絶対」ではないのかもしれませんね。「絶対音感所有者」同士で、音階の認識に差はないのも、その多くの人が現代の調律にほぼ正しく調整されたピアノによって、絶対音感を身につけたからにすぎない、のかもしれません。ただ、私自身は、時代による変化はともかく、習得楽器による差は、人間の目に見えるようなものではないと思いますが。
小さい頃、ピアノの先生や音楽の先生に「音には名前があって、私の名がTであるように、音の名前も変わらないはずだ」というようなことを言って、階名読みはおかしい、と一生懸命主張したことがありました。思えばかわいげのないお子さまでしたな。
Aさん>
それはともかくとして、強靭な絶対音感を持っている人に伺いたいことがあります。旋律を歌うときはともかくとして和声を構成するときにはどうしても純正律とは違う音を出さざるをえないと思うのですが、それってどんな感じがするものですか?例えばC
durの和音でEを担当している場合は少し低めに出した方が和声的には落ち着きますけど、和声的に気持ちいいのと絶対音感的に不快なのとどっちが勝つのでしょう?
Kaさん>
その場合、やはり絶対音を捨てて和声的に気持ちいいことを追究すべきだなあと頭では思います。でも、このことを「合唱」で考える場合には、理想的な音がわかっていることの他に、理想的な音を「発声」することが必要で、安定した声を、精度よく発さなければいけないので、難しいですよね。私は、聞き分ける方に関してはある程度強靭な絶対音感を持っているつもりですが、その発声の部分が下手なために、この3度の落ちつき具合を、合唱で十分に実感できた試しが今までほとんどありません。(十分に検討するのに必要な「再現性」にも乏しいですし・・・)したがって、残念ながら、和声的に気持ちいい方を選ぶか、絶対音感的に快い方を選ぶか、という選択を楽しんだことがありません。楽器が喉じゃなくて、別の、安定した、精度よい音程を奏でられるものであったら、両方を試してみて心ゆくまで比較してみたいですが。(パソコンで簡単に実験できそうな気もしますが?)
例えば、C durで和声的に気持ちいいEの音程と、絶対的なEの音程は何Hz(セント)くらい違うのでしたっけ?そしてその幅は、そもそも、「普通の」人間の発する声の線幅(横軸を周波数、縦軸を強度として、強度分布をかいたときの幅)よりも十分広く、また、そのふらつきの幅よりも十分に広く、「普通の」人間の声で十分区別されうる幅なのでしょうか?(和声的にぴったり合った合唱を聞いたことはもちろんあり、人間の声でその幅を区別するのは不可能だ、と思っているわけではないのですが、かれらはその線幅や精度・安定度・再現性を磨いた「特殊」な人々なのかなーと思うこともあるので。また、合唱の和声を追究するためにはそこが一つのポイントなのかなあと思ったりもするので)
どなたか、そこらへん、おわかりになりますか?
そんなこと、考えたことのあるかた、いらっしゃいませんか?
Tさん>
ちなみに、私自身は、ひたすらぶら下がった音でできあがっている和音は嫌いです。「和声的には合っている」と主張する人もいましたが、やっぱり、鍵盤で指定されている和音と全く違う音は、ちょっと。私が「ファ」と認識する音にもある程度幅がありますが、F調の音楽なのに、「ミ」に聞こえちゃうくらい下がった音をだされて、これにあわせろ、といわれると、すごーーーく抵抗がありました。
Hさん>
Kiさんは「絶対音感なんて無い」というけど、歌を歌う人には多少なりともあるはずなのでは?というのは、自分のでる一番高い声というのがありますよね。たとえば、Bまで出るテノールの人にとっては、変ロ長調は自分が音階を歌える一番高い調。そういうイメージで調を捕らえられるはず。また、歌の人は歌う際、体のポジションが問題になるから、ポジションチェンジの部分の音に関しては体が覚えているでしょ。
そういう意味では、弦楽器や管楽器ならチューニングの音は体が覚えているし、ピアノでも調によって弾きやすさ弾きにくさがあるから、そういうところから調に対するイメージが出来上がるはず。「絶対音感」なんてなくても、そういう音感なら経験次第でできるものだし、それで十分音楽的に足りると思うのですが。
ジャズをやっていたとき、即興演奏のできるできないが人によって極端に差があるのに気づいたのですが、即興演奏のすぐできるひと、独創的なメロディーが歌える人に共通していることは、「音程」に対する感覚が優れていること。「絶対音感」はどうでもいいけど、「音程(相対音感)」は僕は必要だと思うのですよ。「音程」の持つイメージは調の持つイメージよりも圧倒的に強いし、ここに注意を払わない人は、なかなか即興演奏とか、アレンジとか、演奏そのものでさえも苦労する。ソルフェージュとか和声学とか、全部「音程」に対する感覚を養うためのトレーニングであるような気がするのですが、いかがでしょ。
Kiさん>
平均律と和音のずれについては、「絶対音感」の中にも取り上げられていて、弦楽器で和音を作る時には、平均律ではなく和音の美しさを求めるために、ピアノの平均律で絶対音感を持ってしまった人が四苦八苦する、というエピソードが紹介されていました。
ちょと関連は薄いかもしれませんが、千住真理子さんのお話として、オーケストラと共演する時には、それぞれのオーケストラ毎に採用しているピッチが微妙に異なり、そのピッチからもさらに少しだけ高めに音程を意識して調弦するのだそうです。そうすると、バイオリンの音がクリアに聞こえるのだそうな。
ある絶対音感の持ち主に聞くと、アカペラの合唱の歌い出しで、絶対音をハミングする時には、やっぱり和音の音を優先して、平均律の音とは少し違う音を出してあげたりするそうです。
曰く「平均律って、あんまりきれいじゃない和音だからねぇ」
音感の全然ない私にとっては「へぇぇ」しか言えん。(^_^;)
あ、でも、「夜の歌」のおかげでDの音は覚えてました。
やっぱり、回数を重ねるって、すごいことなんですね。
Kuさん>
さて、絶対音感の話題、盛り上がっていますねえ。O先生から名前を出されてしまいましたが、私のなんて...。
それはともかく、先日、チェンバロ奏者として活躍中の友人に楽器を見せてもらう機会がありました。この方は、古楽器(A=415 Hz)、現代楽器(A=442 Hz)の両方のオーケストラと頻繁に共演しています。鍵盤の横にストップのような機構がついていて、鍵盤は同じで、ワンタッチでピッチを切り替えられるようになっているのですね。チェンバロはピッチが狂いやすい楽器ですから、もちろん微調整は調律で行うわけですが。
それにしても、現代ピアノの訓練で厳密な絶対音感を身につけた方は、このようなピッチの切り替えで、頭が混乱するのでしょうか?友人の話では、絶対音感を持っている人は最初は苦労することもあるけれども、プロとしては違和感なく両方に対応できるように訓練するのだそうです。
Aさん>
ヨーロッパの聖歌隊あがりの人達が、ドラマティックなものはともかくとして和声的に圧倒的に優れているのは、小さい頃から倍音のよく聞こえる教会でさんざん歌っているからだと思うのですがどんなものでしょう。たった14セントとはいえ楽器でも人の声でも倍音を聴くと第3音ってびっくりするぐらい低くて、聴けば聴くほど低く感じられてきます。だから「絶対音として」14セント低く出すことは難しくても、相対的基準を持って純正律の第3音を出すことはトレーニング次第で大抵の人間に可能なのではないかと思いますし、幼い頃から慣れていればなおさら簡単なのではないかと思うのです。
Katさん>
「ホルンはなぜはもらないか」というFM番組でホルン合奏をする際にはホルンはピッチの調整ができないので第三音を演奏する奏者は必ず弱めに吹くことによってカバーするということを30分に亘り説明していました。
また 昔 林雄一郎先生が男声グリーを指揮(関西学院だと思いますが)する際には第三音を全部指摘してそのピッチを変えるとか、それが困難な場合にはその部分を弱めに演奏させるとか、更には1−2名ファルセットで倍音を歌わせるとかするということを話しされたのを聞きました。
また昔 福永陽一郎先生宅(江の島)を訪問した際にも同様のことを言っておられたと記憶しています。
Mさん>
聴覚について:
鼓膜の振動はそのすぐ内側にある器官で力学的な変換を受けて周波数ごとの振動になって、その振動を触覚として捉えてたと思います。ですから、特定の周波数を認識できるということは、目を閉じていて誰かに触られたところがあそこかここかを区別できるようなものだということができると思うのですが(あってます?)。で、そういうことなら絶対的な周波数を記憶できるってことじゃないですか?
で、その分解能なんですけど、味気ない(楽音でない)2つの音の高さを聞き分けることができるかどうかという、相対的な分解能を調べる実験では、個人差、実験条件などによってまちまちで、はっきりしたことがいえないものの、とりあえず、低音域ほど分解能が低くてその周波数の3%くらい、つまり半音の半分で、高音域(中音の2オクターブ上くらい)では0.5%くらい、つまり8centくらい。8centというと平均律と純正律のミの音の差の半分くらいで、ソの音の差の4倍。ただ、この能力は同時に他の音が鳴っていると下がるし、楽音では倍音の認識とかが入ってくるのであがる場合もある。もっというと楽音についてはほとんどあてはまらないといってもいいかも。
独立に鳴る2つの音を聞き分けられるということと、基本的に、絶対的な周波数を記憶できるということをあわせると、訓練しだいでその微妙な高さの差をもつそれぞれの音を記憶できてもおかしくはないってことじゃないかと思うのだけどどうですか?
三和音の実験
ギターはどうですか?普通のギターは高いほうからE, H, G, D, A, Eですから開放弦(左手でフレットをおさえない)で展開和音になるけどレソシやソシミがなりますから、空いてる左手でチューニングをするように第三音をちょうせつしてみればいいのでは。ギターを弾いたことがなくても、ジャララーンって隣接した3本を弾くくらいできると思う。フレットをおさえるのは、おさえかたで音の高さが変わるから、今回の目的にはちょっと不向きかも。器用な人なら、その押さえ方で微調整が効きそうですがね。アコースティックな音がよければそういう方法かなぁ。
で、機械の音でもいいんなら、ピッチベンダーのついたキーボードで第3音を鳴らしながら、同じ音色が出せるもう一台のキーボードをならべて残りの2つの音をだせばできますよね。
移調のこと
オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団の去年、今年のオーディションでは簡単な楽譜を突然渡されて、それを適当に移調しながら4人で四重唱する方式を取りまた。わたしは初見で歌うことそのものに不慣れなものの、一度聞けば移調は自由なので、そういう意味では問題ないのですが、人によっては、楽譜をみれば初見で歌えるのに別の調では非常に歌いづらい人もいるようで、うーん、な感じです。
今年の全日本合唱コンクールの女声の課題曲であるデュファイの曲は女声にしてはやたら低いし、さらに「移調は自由である」と、ご丁寧にも楽譜に書いてあるので、移調続出のはず。絶対音感のある人も多いだろう審査員のみなさまはしっかり楽譜を見ながら審査できるのだろうか?先日いらっしゃったデーラーさんは最初のコメントが、「楽譜と違うので気持ち悪い」でした。白ばらにいたころ、ジャヌカンの曲を4人で何曲かやったんだけど、音楽史的なことがよくわからないので、クレマンジャヌカンアンサンブルの録音のピッチにあわせて演奏することにした。楽譜とは全然違うのをこーやがひとりでいやがってたなぁ。
そしてその幅は、そもそも、「普通の」人間の発する声の線幅(横軸を周波数、縦軸を強度として、強度分布をかいたときの幅)よりも十分広く、また、そのふらつきの幅よりも十分に広く、「普通の」人間の声で十分区別されうる幅なのでしょうか?難しいことはよくわかりませんが、線幅にもふらつきの幅にも中心があるのだから、その中心を少し移動させればよいのではないの?
Kaさん>
声の線幅については、きっと、14centよりも小さいでしょうから、中心移動で十分対処できそうな気がしてきました。一方、ふらつきのことについてですが、特に、ビブラートに関してはどうなのでしょう?ビブラートがかかっていると、きっとふらつきの幅は14centよりもかなり大きいと思います。
その場合も、中心がちゃんと純正律の第三音の位置にあれば大丈夫なのでしょうか?教会のようなところでの、ビブラートのかからない声質でのハーモニーなら、純正律的な和音を経験したことがありそうですが、ビブラートのかかった第三音を有する和音で、きっちり倍音が感じとれる合唱を経験された方はいらっしゃいますか??
鼓膜の振動はそのすぐ内側にある器官で力学的な変換を受けて周波数ごとの振動になって、その振動を触覚として捉えてたと思います。
Aさん>
コルチ器官ですね。あれのヒゲの数を数えれば区別可能な音程の数が決められたりして(^O^) いや冗談です。
で、機械の音でもいいんなら、ピッチベンダーのついたキーボードで第3音を鳴らしながら、同じ音色が出せるもう一台のキーボードをならべて残りの2つの音をだせばできますよね。
機械で鳴らす楽器音って正しい倍音を含んでいるのかしら?それとも平均律の倍音(何だそりゃ)を適度な割合で混ぜることによって楽器の音色を真似ているのかしら?後者だったらこの実験はうまくいかないよねぇ。
ところで線幅もふらつきの幅も0の完璧な発声をマスターしたけれど位相まではコントロールできない人(^^;)が大勢集まって同じ音程と音量で一斉に声を出したなら... 位相まで本当に揃えられるものなのか、私には疑問だったのですが、
Aさん>
私も揃えられないと思います。ですから位相だけは均等に分散していて他は完璧に揃っていたらどうなるかという話です。歌う人々の位置とか聴く人の位置の問題があって私にはよくわからないというのが正直なところなので、鳥居君の解説を伺いたいです。
ところで一斉に声出す話ですけど、ある人数を越えると人が増えれば増えるほど音量が減ってしまうってことはないかなぁ? また私の勘違い?>鳥居君
Kyさん>
さて、一部で盛り上がっている「絶対音感」関連の話なのですが、3歳からオルガンを始め、11歳までピアノを(一応)習っていたにもかかわらずピアノが弾けない私も、実は「音が勝手にカタカナで聞こえてきちゃう」ほうです。鳥居君も以前に書いていたように、フラットが5つもつく変ニ長調は、シャープ7つの嬰ハ長調に聞こえてしまいます。そのへんのいい加減さは非常に鳥居君と話が合います。
鳥居君が「人間は隣り合う2音のうち高い方の音を認識しやすい」という仮説をたてている、というようなことを書いてますが、私の故郷で、私が所属していた合唱団の指揮者の先生が、「低い音はあとから聞こえてくるので(低い音は速度が遅い、の意?)、全声部同時に歌い出すとき、特にベースは早めに準備するように」と、よく言ってました。つまり、「音は高い方が速度が速く、先に聞こえてくるので、高い方の音が認識しやすい、」ということらしい。これ、何か科学的根拠はあるの?>鳥居君
Kuさん>
さて、『絶対音感』です。で、おもしろそうだから今度本郷で1割引で
買ってきて読んでコメントしよう、と思っていたところ、次の出張の間に妻が買ってきて読んでしまっていました。で、わかったのが妻はあちら側の、音を左脳で聞く、人間だ、ということです。440Hz
か 442Hzかは気にしたことがあまり無いそうですが、例の移動ド唱法(ト長調ならGにド、Dにソという音名をあてて歌う)は気が狂いそうだ、とのことです。中学や高校の音楽の時間にこれをやらされた際、一生懸命頭の中で音名を変換しながら歌おうとしてもできず、周囲がちゃんと移動しても平気で歌っているのを見て、自分は頭が悪いのではないかと真剣に悩んでいたのだそうです。つまり、世の中の人みんな、Gはソ、Dはレなのに、調を考えて瞬時に変換して歌っているのだと思っていたのだと言うのです。『絶対音感』を読んで、どうもそうではない、ということが分かり長年の胸のつかえがとれてすっきりした、と言っていました。結婚してだいぶ経つんですけれど、あんまりそういう話はしたことがなかったのでこの本はいいきっかけを与えてくれたと思っています。本の内容自体は、もう少し音楽的な話があると良かったと思います。認知科学とか教育問題と戦争とか、ジャーナリズム受けしそうな話題に話を振って媚びている様に僕は思いましたので、後半はすっ飛ばして読みました。
で、僕自身の音感はどうかと言いますと、どんな音を起点にしても知っている曲ならちゃんと歌えます。カラオケの瞬時変調 OK です。1/4音ずれていてもたぶん大丈夫です(絶対音感はないということですね)。えっへん。ところが、案外記憶しているもんだなと思ったのは、田園の出だしとか、大都会の出だしとか、歌うと妻の音感の許容範囲に照らして「あってる」と言われました。でも、その音の高さを言えと言われても分かりません。まさに、音にラベルがつけられないという状態です。考えを持っていても言葉にできない赤ん坊の様なもんだ、ということでしょうか。
とか書くと、絶対音感に関する持たざるものから持つものへの羨望嫉妬をかきたてる様ですが、例えば歌に関して、絶対音感があるからといって妻が僕よりもうまいというわけでもないので、まあ、関西弁で言うと、絶対音感がなんぼのもんじゃい、という感じでしょうか。これからは家庭内で不愉快なことがあった時には、E と F の間くらいの音を起点としてソーミミーファレレー、とちょうちょを歌って妻に対する嫌がらせをしようかと企んでいます:-)
P.S. しつこいようですが、現代日本で絶対音感を持つ人と L と R がちゃんと聞き分けられる人とどっちが多いでしょうねぇ。L と R どころか、s と shと th の違いもない人もいますから....
Jさん>
絶対音感について一言・・・。
難しいことはわからないけど、絶対音感があるのって私にはそんなにいいことじゃなかったです。私は5歳のときからピアノ習って、聴音とかやったのでなぜか」絶対音感がついてしまったのだけど、それ以来、音楽を聴いてても、頭の中でいやおうなしに音が音名に変換されて、頭できいてて、ハートできいてないような・・・、旋律を芸術表現としてとらえてないような・・・、そんな気がしてて、絶対音感がすっごくじゃまでじゃまでしょうがなかったです。じゃまでも、絶対音感っていらないときには消えてなくなるような都合のいいものでもないから、音楽を、音名(かい名)を経由することなく聴ける人の方が純粋に音楽を聴いてるような感じがしてうらやましかったです。生活の音まで自動的に絶対音になっていた時期なんて、わずらわしくてしょうがなかったです。
印象派とか現代音楽系の調性があいまいなのを聞いて初めて、絶対音に翻訳せず、なまの音による音楽に浸ることができて、感動したのを覚えています。
でも、最近音楽から離れてる生活をしていると、絶対音感が薄れてきたような気がしててちょっとうれしいです。(理論的にはありえないこと?)
絶対音感は奥が深い。
関連文書: 絶対音感、絶対音感持論、音程の科学、絶対音感の音の色、絶対音感の幼児教育
書籍紹介: 「絶対音感」最相葉月著、小学館
リンク先: 東京大学白ばら会合唱団ホームページ
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