鳥居> 沖縄語 <中略> 機運も強いからという側面も強いが)、鹿児島は鹿児島弁とか鹿児島方言でよいとしても、沖縄は沖縄語とか琉球語とか呼んでしかるべきだと思うのである。
Bさん>昔読んだ本(「キャプテン翼」)にスペイン語とポルトガル語は日本語の東京弁と関西弁のようなものだと書いてありました。
そうそう、スペイン語とフランス語なんぞより、スペイン語とイタリア語はもっと近いし、ポルトガル語は更に近い。
Bさん> ということは、関西語と読んでもいいのでしょうか。独立の気運はないけど、対抗意識はあるしなあ。
# ということは自分は既にバイリンガル。
勿論そうです。Bさんのいろんな意味で後輩の僕も、同様にバイリンガルです。中国地方の人は中国語を喋るってことになるのかな。ははは。
と、言いたい所ですが、
それはちょっと違うかも。というのは、日本にいるのは日本人で、そこで話される言語は日本語だけだし、逆に日本語は日本でしか話されないし、またほとんどの日本人は日本に住んでいる。
(もちろん上の議論は少数派を無視しています。カリフォルニアや南米の日系人の話す日本語とか、在日韓国・朝鮮人とか、アイヌ語とかの存在を無視する訳ではありませんが、それらのパーセンテージが極端に小さいことは日本語がほかと比較して例を見ない類稀なる言語であると言いたいのです。)
日本語というのはそういう特殊環境にいるために統一的に「日本語」という用語を与えられる運命にあった。明治維新後の国の政策として「標準語」(この言葉も気に食わん。せめて「共通語」とすべきだろう。なお、「共通語」と「東京方言」は違うものなので混同無用。例えば「かたす」(片付ける:関西方言では「なおす」)は「東京弁」であって標準語でも共通語でもない)が設けられ、地方の方言は衰退を余儀なくされたのです。(勿論、おかげで日本津々浦々共通語でことばが通じるのではあるが。)なので、かりに「関西語」と呼んでも、関西国も関西自治政府もないし、また日本民族というのはあっても、関西民族というのがない。つまりその範囲が限定できないし、東京語 対 関西語 とは言えても 日本語 対 関西語 とは言えない。むしろ上方の長い歴史を考えると 東京語 対 日本語、せめて 東京語 対 大和語 と言いたいところだが、東京語 対 上方語 とでもしないと受け入れてもらえないかな。
カタルーニャ語の話ばかりして申し訳ないが、彼らもカタルーニャ対カスティーリャ(マドリード周辺地域を主に差す)という意識で、カタルーニャ語 対 スペイン語 という書き方はしていなかった。でも教育はカタルーニャ語でやる。つまり学校で文法や正書法をきちっと習う、のだと思う。もちろんカスティーリャ語も習う。そこが関西方言との大きな違い。大阪の小学校では、国語の教科書を朗読する時、生徒は(あるいは先生も)関西弁のイントネーションで読むけど、書かれてあるのは共通語。独立を進めるためには言語、文化、経済、民族意識、歴史的正当性などが必要なようで、カタルーニャにはそれがある。勿論小さすぎるというのは否めない。Barcelona 以外に大きな都市もないし。言語的にも、本屋にならんだ本の大半はカスティーリャ語だし、でもカタルーニャ語の文学とか、文法書とか、はたまた科学論文の書き方なんて本まであって、自分達の言語に対する模索が見えた。関西方言も、大阪弁の本とかはあるが、「大阪弁科学論文の書き方」なんて本は見たことがない。もっとも、フランコ独裁政権下でその言語使用すら禁じられてきた反動もあり、自治獲得15年経った今 ますます民族意識を高めようとしている彼らに対し、関西人の対抗意識は「なんや、あの東京人めが」という、なにもかも2番で、一番になれない我々関西人のひがみだけでは足らないのかもしれない。
ドイツやフランス語にも方言はあります。[Click here!!!]
おまけ:外国の地名を違う外国語でいうとどうなるか。[Click here!!!]
国勢調査がありましたが、そのなかの、外国人に丸を付ける人はともかくとしても、日本人に対して、「あなたは何語を話しますか」という調査がないこと自体が日本の特徴です。我々ならこんな質問をされれば、「うーん、英語もろくにできんしなあ。ドイツ語を大学で習ったけど、そんなんは役にも立たんかったし...」と考え込む所でしょうが、そうではなくて、世界の多くの国ではこれは「あなたの母国語 mother tongue は何ですか」という意味で、例えばスイスでは独・仏・伊(およびロマンシュ語)の4ヶ国語あるし、イギリスでもウェールズ語やアイルランド語を話す人もいるし、インドでは20言語以上あると言われるので、同じ国民だからとて同じ言葉を話すとは限らない。でも日本では、地方に行って方言が聞き取れないことはあっても、書き言葉をふくめた言語というものが全く違うということは起こりませんね。
中国にもたくさんの言語があります。チベット語などのようにまるでちがうものもありますが、漢族の範囲内でも上海語や広東語など、普通話[プートンフヮ](北京方言)とはまるで違う言葉もあります。でも中国のなかではたとえば広東語のことは広州粤語方言というそうです。「方言」とは言っているが、「語」とも言っている訳ですねえ。
こうなると何をもって「語」というか「方言」にとどめるか、は「言語的特徴」だけではなく、「国家」としてのまとまりも当然からんでくるのでそう簡単ではないようですね。