主に携わっていること
陽子の反粒子である反陽子を電磁場でトラップしています.反物質トラップです,と言うと大層に聞こえますが,要はイオントラップです.消滅を避ける為に極高真空状態に保つことが重要です.
以下に簡単に述べていますが,スイスの CERN において,反陽子をトラップに大量に蓄積,冷却し,超低速反陽子ビームを生成する手法を開発しました.
現在,その超低速反陽子を用いて,低エネルギー領域での原子衝突過程の研究,
反水素原子合成とその分光学的研究を進めています. ASACUSA MUSASHIについて研究は,ASACUSA という実験グループの一部として進めています.
CERN では LHC に代表される所謂,「高エネルギー物理」「素粒子物理」「原子核物理」に分類される研究が主に行なわれていますが,
ASACUSA は,低速反陽子を用いて「原子物理」に分類される様々な研究を行なっているグループで,東大(駒場や本郷のグループがあります)と理研,それ以外にもデンマーク,イタリア,ドイツ,オーストリア,ハンガリー,イギリスなどなど様々な国の研究者が一緒になっています.私の参加している駒場と理研が主となっている
MUSASHI と称するサブグループは,超低速反陽子源の開発※とそれを用いた衝突実験(反陽子原子生成過程,イオン化過程の研究),反水素生成と分光を目的としています.装置開発,実験,
解析はサブグループ全体,十人くらいで進めています.流石にテーブルトップの一人だ
けで出来る実験ではありませんが,それぞれ,自分の「仕事」を持てますし,
また,決して単なる歯車の一部で終わることもなく,常に全体が見えて,しかも関与
出来る「手頃な」規模です. 実験は,スイスのジュネーヴ市郊外で,フランスとの国境にまたがっている
CERNで行なっています.準備や予備実験を日本で
することもあります.わざわざ遠い欧州の田舎で実験をしているのは,
我々の興味のある低いエネルギー領域の反陽子を供給する装置が CERN にしかないからです.米国のフェルミ国立加速器研でも反陽子を供給していて,ビーム強度は CERN よりも強いくらいだそうですが,高エネルギー反陽子しか供給してくれないようです.
以前は筑波の KEK でも反陽子を作っていて反陽子ヘリウムはそこで発見されています
が,今は動いていないようです.ドイツの GSI では反陽子を使う実験施設の計画もあるようです.
実験に必要なものこの実験には,今話題の LHC のような周長 27,000m もある巨大加速器は必要ありません. CERN ではイオン源からの陽子をブースターを経由して周長 628m の Proton Synchrotron (PS)で 25 GeV まで加速したものを金属の標的にぶつけて反陽子を生成しています.その反陽子を反陽子減速器 Antiproton Decelerator (AD, 周長 182 m)に集めて減速,冷却を行なってから 5.3MeV のエネルギーのビームとして各実験グループに供給されています. 流れをまとめると図 1 のようになっています.幾つもの加速器や減速器を使って反陽子を生成,減速,冷却してこの研究に使える反陽子ビームに仕立てています. 直接開発及び実験に関与しているのは 7 から 11 の装置です.
以上の 1 から 5 の加速器群は この辺に情報がある. 実験グループのweb site はこちら.日本語のページ. ASACUSA での反水素実験のweb site はこちら. ▲
超低速反陽子ビーム生成の簡単な解説この研究では,Multi-Ring Electrode Trap (MRT 或いは Mohri trap) と呼ばれるトラップを用いている.これは,超伝導ソレノイドによる静磁場と円筒電極の作る静電場を用いて反陽子(やその他の荷電粒子)を閉じ込める装置で,その中で,冷却,密度分布を制御した後「超低速反陽子ビーム」にしている. 反陽子の「冷却」μ粒子とは違って反陽子の寿命は(ほぼ)無限なので,巨視的な時間をかけて 反陽子を減速,冷却できる利点がある.勿論,極高真空下におかないと残留ガス(の原子核)に吸われて消滅してしまう.その為,反陽子を閉じ込めているトラップを構成する電極群は 4K に冷却できる真空容器内に設置し,残留ガスを「凍結」してしまえるようになっている.一方でこのような極高真空中に蓄積された反陽子の運動エネルギーを何らかの方法で下げていかないと冷却はできない. この点でポジトロニウム生成反応が吸熱反応となって分子との散乱で冷却が可能な陽電子とは違う. 磁場中の電子はシンクロトロン放射(サイクロトロン放射)で「自動的」に冷却され,また反陽子とは安定に共存できるため,ここでは電子を「冷媒」として用いている. 因みに陽電子についても三体結合が重要になるような極低温までは反応性は低く,電子プラズマを陽電子の冷却にも応用されることがある. 反陽子トラップ
反陽子トラップの基本原理は Penning trap と同じで,簡単には次のように説明できる.
図2 では円筒型の Penning trap だが,そこにあるにように二組の電極に閉じ込めたい荷電粒子と反対の電荷符号で十分な大きさの電位を与えて荷電粒子を跳ね返し,円筒の軸に平行な方向の荷電粒子の運動を制限する.しかし,このままでは軸に垂直な方向には逃げることができる.
そこで,軸に沿って磁場を印加し,荷電粒子を磁力線に巻きつかせる.これによって荷電粒子を三次元的に或る領域に閉じ込めておくことができる.
MRT では,閉じ込めている非中性プラズマがこのトラップ中で回転楕円体になることを利用して,プラズマ内の波動を測定することで非破壊的にプラズマの温度や形状を知ることが出来る. 例えば電子冷却中に電子プラズマの温度を静電振動から推測して反陽子の冷却の様子をモニタすることができる. また,このようなトラップ中にある非中性プラズマは剛体回転平衡状態にあるとされ, 何らかの方法でトルクを与えるとプラズマの動径方向の密度分布を制御できる. 超低速反陽子ビーム生成の流れ
上述のように CERN ではイリジウム標的に 26GeV/c の陽子ビームを照射して反陽子を生成し, 3.57GeV/c のものを AD のリングに導入蓄積している.AD は反陽子(3.57 GeV/c)の冷却,減速を繰り返していき最終的に 100MeV/c, 運動エネルギー換算で 5.3MeV の低速ビームにしている.3000万個くらいの反陽子が 100秒に一回,150ns くらいのパルスビームで供給される.
我々はこの RFQD を経て約 110keV になった反陽子ビームを減速用の薄膜(ペットボトルなどに使われているポリエチレンテレフタラート Polyethylene terephthalate (PET) を60μ m位まで薄くしたものを二枚重ねにしている)を通過させて 10keV 程度まで減速した後, トラップ内に導入している.図2 で左方から来た反陽子を反対側の出口付近(電極 DCE)で -13kV の電位で跳ね返し,半導体スイッチを用いて高速で -13kV の電位の「蓋」(図の UCE)をすることでトラップ内に捕まえることができる(図3 の(a)). トラップされた反陽子は -13kV の壁の間を行き来するが,この時,予め閉じ込められていた電子プラズマの中を往復する.強磁場中(2.5 ― 5T)にある電子は前述のようにシンクロトロン放射によって「自動的」に冷えるので,結果として電子とクーロン散乱を繰り返す反陽子も sub eVのエネルギーまで冷却される(「電子冷却」と呼んでいる.図3 の(b)).これには 20 から 30 秒程度かかる. 冷却後,不要になった電子はトラップ領域から追い出している.この時トラップ電場による調和ポテンシャル内で調和振動をしている電子と反陽子のそれぞれの振動周期の違いを利用して,電子は出ていくが反陽子が出ていけないような極めて早い時間だけトラップ電圧を落すことで電子だけの追い出しを実現している(図3(c)). こうして冷却された反陽子をトラップから引き出して「超低速反陽子ビーム」にするのだが, 反陽子トラップは超伝導ソレノイドによる強磁場中にある為に,そのまま反陽子雲を磁場のないところに引き出すと磁力線に沿って動径方向に拡大し電極などにあたって失なわれてしまう. そのため反陽子を軸付近にかき集めることで「引き出し」の効率を高めている. トラップの円筒電極の一つを方位角方向に四分割し,それぞれに位相がπ/2ずつずれた高周波をかけることで円筒の軸付近にいる反陽子からは回転している電場が見えるようにしている.これが反陽子雲にトルクを与え,結果的に反陽子を軸付近に集めることが出来る. このように回転高周波を「反陽子プラズマ」に印加することで反陽子雲(プラズマ)の密度分布を制御できる(図3の(d))(参考文献). 現状現在,上記の装置において冷却された反陽子雲を 250 eV に再加速し,「超低速」反陽子ビーム源 (MUSASHI, Mono-energetic Ultra-Slow Antiproton beam Source for High precision Investigation)として実際に運用できるようになっている. 低エネルギー領域での反陽子と原子の衝突過程(数十から数百eV での領域での反陽子によるイオン化や,数十eV 以下における反陽子原子生成過程)の研究に用いている(参考文献). また,この装置で得られる「大量」の,これまで報告されていた反水素原子の合成に使 われていたものよりも二桁ほど多い反陽子を使っての「冷たい」反水素原子ビームの合成も進展している(参考文献).反水素原子については,ここに述べたトラップとはまた毛色の違うカスプトラップを用いている. 今後は反水素原子の分光学的な研究を進めていく予定である. ▲
関連するリンク
その昔,駒場でやっていた予備実験と検出器の準備の記録 |