医学のように現場でまだドイツ語が見られるというのは、極端な例でしょうが、ほかの自然科学の分野でも、こういうドイツ全盛期の名残があるのでしょうか?さすがにドイツ語自体を今でも使っているというわけではないですが、化学の世界でもドイツ語の影響は根が深いです。例えば、有機化合物の基本的な官能基の読み方は大抵ドイツ式です。
日(独) 英(米)
えーてる → いーさぁ
めたん → めーせぃん
すちれん → すたいりーんおかげで、初めて英語で口頭発表するときは物質名の発音を調べるのがおおごとです。
これは、ドイツ語だというよりも、ラテン語ではないか、と私は思ったのですが、それなら methane はメタネになるはずだから、最後の e を読まないところをみるとやっぱりドイツ語経由なのかなあ。
あと、ドイツ語がそのまま残っているものとして、
日(独) 英(米)
ナトリウム → sodium
カリウム → potassium# ホールピペットって、Vollpipette(独) そのまんまだったのね。
さらに、なぜかこれだけドイツ読みする奴が多いのが
pH(ぺーはー)
# pKa や pKb を「ぺーかーあー」とか「ぺーかーべー」なんて絶対に読まないくせに。
ついでに、フランス語で水素のことを hydrog`ene と書きますが、これを読むと「イドホジェーン」となってしまいます。フランス人は h を発音できないので、以前ある人の講演で「アドホン」がハドロン(重粒子)であることは分かったのですが、「エヴィオン」がついぞ分からなかった。まさかアルプスの水「エヴィアン」ではあるまいに、と思っていたら、なんとheavy ion (重イオン、英語でヘヴィーアイオン」)のことでした。
# ちなみに、エヴィアン Evian(-les-bains) はここジュネーヴから近く、レマン湖の南岸にある町の名前です。町中にある水のみ場ではただでエヴィアンの水が飲めるそうで。
日本での外来語の由来はまさに明治期にどの国から学んだかと関連が深い様で、医学の他にもスキー用語はドイツ語が多いですよね。(スキー自体のことはシーとは言わないが。)ゲレンデとか、プルークボーゲンとか。
趣味の日本史程度なんですが、手元の資料を見ますと、日本における外来語の多くは安土桃山時代にさかのぼることができるそうです。
ご存じのものも多いかと思いますが、パン(p~ao)、合羽(capa)、襦袢(gib~ao)、ビードロ(velludo)、カステラ(Castella)、金平糖(confeito)、カルタ(carta)、バッテラ(bateira)、カボチャ(Cambodia)、天ぷら(tempero)はポルトガル語から、おてんば(ontembaar)はオランダ語から来ているそうです。これらは当初「南蛮語」と呼ばれていました。
いまどき南蛮なんてカレーうどんにしかつかわないけど。
江戸時代に花開いた蘭学は今はまるで廃れて、オランダ語起源の言葉はあまりありません。でも、カステラはともかく、「かるた」なんかはもともとの日本語だと思っている人も多いかも。仏教用語にはサンスクリット語(梵語)が多く、伽藍堂のガランも確かそうかな。と書いたら、インド仏教の専門家から次のようなお答え。
そうだったと思います。また涅槃という単語ももとはニルヴァーナというサンスクリット語の音写です。原義では「動揺を鎮める」とか「炎を吹き消す、または吹き消した状態」を意味する言葉です。また、娑婆は元々sahaの音写で、「忍ぶ」というのが原義のようです。忍ぶ世界が娑婆世界。「娑婆にでられる」と喜ぶのもどうかなという感じですね。菩薩もボーディサットバの音写だし、似たような事例はいろいろありますね。
ただ、日本仏教の場合は中国を経て流入しているという特性上、音写ではなく漢訳でそのまま用いられているものもいろいろあります。たとえば如来などはもとは「ターガタ」というサンスクリットの複合語ですが、これを「タター・ガタ」というように分けると「そのように去れるもの」というような意味の単語になり、これなら本来の漢訳は如来ではなく如去となるべきかもしれません。一方でサンスクリットの連声(二つ以上単語がつながると音が変化する)の法則から「タター・アーガタ」というように、漢訳した人が理解したために「そのように来れるもの」の意味となり、如来になったようです。大乗仏教は両方の訳から「仏は衆生救済のためにこの世に姿を現して人々を救い(如来)、救い終わって去っていく(如去)」というように呼んでいます。我々が日頃目にするものの中には仏教の影響を受けているものは思った以上に多いと思いますが、漢訳なのか、言語の音写なのか、また訳の仕方などそのルーツをたどるのはおもしろいかもしれません。
サンスクリットはインド・ヨーロッパ語族に属すので、元をたどれば英語などと同じになります。そのため、現代日本語の中には、印欧祖語(インド・ヨーロッパ語族の元となった言語)からサンスクリットを経由して入った単語とヨーロッパ語を経由して入った単語とが並存しているケースがあるようです。
たとえば「摩訶不思議」などというときの「摩訶」maha はサンスクリットで「大いに」というような意味ですが、元をたどると英語の much や「メガバイト」などの「メガ」(これはギリシャ語)と同じになります。ちなみに「マハラジャ」はmaha-rajaで字義は大王ということですが、この raja はラテン語の rex("Tu Rex gloriae" や "Rex
immensae majestatis" とかに出てきますね)と元は同じになります。また「旦那」はサンスクリットの dana で、元々お布施の意(日常使っている「旦那」は danapati お布施をする人=祭礼の主催者からの転)ですが、元をたどると、臓器移植とかの「ドナー」(ラテン語で「与える人」の意。元の動詞 dono「与える」は "Dona nobis pacem" とかに出てきますよね)と同源の言葉です。
ところで、ほとんどの人が知らないのが、「いくら」がロシア語だということ。ikra(икра)は「魚の卵」という意味です。いくらは「赤いイクラ」、キャヴィアのことは「黒いイクラ」といいます。
ロシア語というと、昔は物理学ではわりとメジャーな言語だったのかも知れません。本郷の物理学図書館には 1970年代までのロシア語の学術雑誌がたくさん置いてありますし、以前「物理学者のためのロシア語入門」という古い本をみたことがあります。確かに、ランダウ・リフシッツはじめ著名な理論物理学者がいました。今でも特に私はロシア人の理論家とのコンタクトが多いのですが、特に若手の人など、みんな英語を喋るようになっているので、学問のためにロシア語が必要だという場面はなくなってきています。
それから、日本で使われるドイツ語に戻りますが、皆さん、何か忘れてやしませんか? そう、音楽ですよ。今日街中の教会でオルガン演奏を聴いていて思い出したのですが、a-Moll(イ短調)とか、Es-Dur(変ホ長調)とか言うでしょう?
andante とか vivace とか tempo Io (primo) とか言うくせに、調性の名前だけは、私はイタリア語でなんと言うのか知りません。フランス語なら、la
mineur と mi b'emol majeur と言うようです。イタリア語でもたぶん似たような言い方になるのでしょう。そう、ラとかミとか言うのです。(do,r'e,mi,fa,sol,la,si) 日本では音名はドイツ語式なのに、階名はフランス語式、と使い分けますよね。音楽は二つの国から同時に学んだ名残だ、ということなのでしょうか。
# ところで、和名のイロハニは階名にも使うのだろうか。