リトアニアの首都ヴィリニュス

 リトアニアと言えばバルト三国の一つで、1991年にソ連からの独立を果たした新しい国なので、日本人にはあまりなじみがないかもしれないが、中世にはバルト海から黒海にいたるリトアニア大公国を樹立した由緒ある国であり、また第二次大戦中ユダヤ人を救った杉原千畝氏の功績のおかげで親日派も多い。

 デンマークのコペンハーゲンを経由していよいよリトアニアの首都ヴィリニュスに到着した。ヴィリニュスは中世以来のリトアニアの首都。西欧から数々の建築家を招いてさまざまな様式の教会を建てされたということで、まさに教会の博物館ともいえるほど、立派な寺院が建ち並ぶその風景は圧巻だ。美しいその旧市街は、バルト三国の他の首都とともにユネスコの世界遺産に登録されている。さて、私が泊まったホテルは、ホテルリェトゥヴァという旧ソ連時代では最高のホテルで、22階建ての、市内では一番高い建物。レストランやショッピングモールなど、施設がそろってはいるのだが、画一化された客室や、あまり寝心地のよくないペットなど、いかにもソ連的で、最近ではだんだんとその地位も下がってきているそうな。

 初日は突然の雨。ぽつぽつと降り出したかと思えば、たちまちのうちにまるでスコールのようなどしゃ降りになった。気温もぐんぐん下がり、7月だというのにジャケットを着てレインコートを羽織ってもまだ寒い。7月のヴィリニュスは雨が多いとは聞いていたものの、まさか毎日こんな調子では観光する気も萎えてしまう。しかしともかくバスに乗って街に出てみることにした。さあしかしどこでバスを降りていいものか。路線図を持ってはいるものの、いったいどこを今走っているのか皆目見当だにつかない。仕方ないので、適当なところで下車して、雨の中を歩き始めることにした。

 それにしてもとにかく教会の多いこと。リトアニア人のほとんどはカトリック信者だというが、この町にはロシア人も多く、ロシア正教の例のアイスクリームのようなした形のモスクも見受けられる。さまざまな教会は外装もさることながら、内部の装飾がこれまた素晴らしい。これまでヨーロッパ各地で多くの都市を訪れ、そのたびごとに教会はたくさん見学したのだが、ひとつの街にしてこれほど数多くの教会に出会うとは、まったくたまげたものである。そしてまた、どの教会に入っても、必ず熱心に祈りをささげる人々の姿に出会うのである。しかも日曜だけでなく、毎夕のミサにも多くの人が集う。(合唱の有名な国だけに、聖歌隊の歌声もひときわ美しかった。)今まで旅した中で、最も敬虔な国民だと感じた。

 さて、土砂降りだったのは到着初日だけで、あとは時折のにわか雨には遭遇するものの、おおむね天気良好で、地元の人に言わせれば7月らしからぬ空模様だそうだが、会議の合間の観光や市内見物には晴れてくれて好都合だった。街の風景はといえば、一般的な西欧のそれとさして変わらない。ただ、バス停ごとに必ずあるキヨスクスタンドや、築年数のたったアパートの並びなどからはチェコのプラハやロシアのドゥブナやサラトフなど、旧ソ連のにおいがする。街を歩く人々の顔は、ほとんど白人。北欧に近いためか、髪もブロンドや白の人が多い。そしてなんと言っても、若い女性が非常に美しい。背も高くてすらりとしている。でもそれに比べて、男の子はあまりぱっとしないわね、とはある日本女性の言である。しかし不思議なことに、年配の女性になると誰もが皆よく肥えて、どうしたらまああんなに美しい女の子がこうも変化するのだろうか、きっと食生活が悪いんだろう、とか油分の取り過ぎじゃないが、とか日本人同士でいろいろ議論していたのだが、32〜36歳の間にギャップがあって、その時期にガクンと変化するのではないか、というO先生の推論に一票。

 7月6日はリトアニアの建国記念日で、大統領官邸前の広場では、記念式典が催されていた。われわれの国際会議会場となった文化センターでは2、3日前からブラスバンド等の練習をしていて、彼らの演奏も当日の晴れの舞台でのお披露目となった。狭い広場なので、それほど多くの群衆が参加したわけではなかったが、国歌斉唱の折りの力強い歌声を聞いていると、この国が十年前に勝ち取った独立に対する、民衆の深い複雑な思いを感じた。歌声といえばバルト三国は合唱、なかでもフォルクローレが有名だ。民族の伝承を歌という形で受け継いできたこれらの国々の人々の誇りなのである。

 独立を勝ち取って十年近く経過したが、街なかにはロシア人の姿も多い。彼らは未だに母語のロシア語しか話さずにこの国で暮らしている。リトアニア人も誰もがロシア語とリトアニア語の二重生活をしているようだ。最近の若者は英語を話す人も増えているようだが、ロシア語が話せればこの国では絶対に困らない。ただし、必ずしも歓迎はしてくれないかもしれないが。ところで、お隣ラトヴィアの首都リーガに向かうため鉄道駅に行って気づいたのだが、駅の窓口では誰もがロシア語で切符を求めていく。決してリトアニア語は使われていない。さらに、車内乗務員や国境警備隊もロシア語以外解さない風情であった。どうやら、昔の時代の名残か、鉄道交通はロシアが押さえているのか、あるいはリトアニア国鉄という名だとしても雇われているのが皆ロシア人なのか、どうもそういうことらしい。寝台列車の隣のベッドで、ズドラーストヴィーチェとロシア語で挨拶した私を無視し、乗務員に対しても非常に無愛想な受け答えしかしていなかったおじさんが、私が英語で話しかけたとたんに雄弁に答えてきて、優しそうな顔に変わったのが印象的だった。彼がリーガ大学の教授だと分かったのはその後のことである。バルト三国の共通の歴史が、ソ連やロシアに対する複雑な思いが、そこに見て取れた。ところで、リトアニア語は印欧諸語のバルト語族に属するが、複雑な語形変化やアクセントは古い形を保持しており、言語学とくに印欧祖語の研究家にとっては貴重な資料を提供してくれる唯一の生きた言語だそうだ。私も街の書店で探し求めたリトアニア語の入門書を読んでみたが、なかなか奥が深くておもしろそうだ。

 バルト海からのお土産はなんといっても琥珀。なかでもリトアニアは特に有名で、観光地の露店から街の専門店まで、様々なところで売られている。五千万年前の松ヤニが凝固し化石化したもので、含有物や酸化度によって色も様々、白、黄、オレンジ、赤、青、緑、黒、と多様であり、また透明なものから独特の模様や昔に閉じこめられた虫入りのものまで、美しいきらめきを見せてくれる。


書籍紹介: 「地球の歩き方」バルトの国々、ダイアモンド社


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